社会医学セミナー班

○研修目的

 公衆衛生・社会医学セミナーは興味を持つ学生を対象に毎年開かれているセミナーである。参加者は2泊3日の研修期間中、講師の先生方による講演を聞き、ディスカッションを通してこの分野への理解を深めることを目的としている。今年は北海道で行われた。社会医学セミナー班は、熱帯医学研究会の活動をしていくために不可欠な社会医学的な視点というものを勉強することを目的として、このセミナーに参加してきた。

○団員構成

 熱帯医学研究会 部員3名 

○研修期間

 8月18〜20日

○活動内容


M1 中村真由美

 今回のセミナーでは本当に多くを学んだ。そもそも私は社会医学を全くに近いほど知らなかったので様々な場面でカルチャーショックを受けた。それは、今まで自分の目指す医療に社会医学的な要素があるとは思ってなかった私が、その重要性に気付き、そして自分の道標にもすることができたほどに実り多いものだった。

 以前、私が持っていた社会医学に対するイメージは、単に下水道整備などの衛生関係や、学校の予防接種などに関わるだけで、正直に言って進む人も少ないマイナーな科だと思っていた。しかし今では、医者を目指す人間なら必ず身に付けておくべき知識、あるいは感性の基盤となるものではないかと思っている。

 今回のセミナーで学んだこと、それは、社会医学は人間を総合的に、包括的にサポートしようとする学問なのだ、ということだ。その範囲とするところは正に、一個人の健康から、家庭、地域、国家やさらに他の生態系に至るまで、と無限に幅広く、かつ医療の根本をなすものであった。そして、この、社会全体の健康を考えていく姿勢―社会医学spirits―は、様々な分野の専門医、たとえば疫学者、臨床医、産業医、防衛医などといった様々な方面で活躍する医師たちの根本を支えるものになる、ということも感じた。

  前に「自分とあまり関係のない分野だと思っていた」と書いたが、それはこういうことだ。私は、臨床医になりたいと思っている。イメージとしては、昔ながらの町医者のように、子供からお年寄りまでどんな相談にも答えられ、その地域に住む人たちの一生をずっとみていくような医者像を持っていた。このような医者は、デンマークなどで家庭医制度として浸透しているそうだが、日本には存在せず、よって普通に臨床に進んでそのあとどこか町病院にでも勤務するくらいしかないのだと思っていたのだ。しかし、今回、北海道大学の総合診療部が家庭地域医学として10年ほど前から実践していると聞き、とても興味をひかれた。私が目指しているのは総合的に診療できる医者だが、それはあえて括るならば社会医学に括られるのかもしれないと感じた。しかし、北大の家庭地域医学のようなシステムはどこででも実践されているわけではない。これは今回企画された岸先生を始めとする有志の先生方が創設されたものであり、総合診療部がこのように効果的に機能している例は全国的にも珍しいそうだ。おそらく、北海道という、広大な土地をもち、その割には人口が少ないという特色をもつ土地柄が多分に関係しているのだろう。

 また、今回のセミナーで得られた貴重な体験のもう一つは、熱い志を持ってそれぞれの場所で日々努力している学生や、熱い気持ちを保ったまま実際に活躍されている先生方と出会えたことだった。度重なるグループセッションや夜を徹しての話し合いのたびに、全国には自分の目指す医療に向かって日々模索しつづける仲間たちがこんなにいるのだと励まされ、また刺激を受けた。学校や住む場所が違えばこんなにも視点や将来の夢が違うのか、ととても面白く思った。九大の古野教授は、大切なこと3つとして「Diversity Heterogeneity Harmolization」を挙げられたが、今回のセミナーが正にそうだった。多くの学校からきたいろいろな意見をもつ学生たちが、それぞれの意見をぶつけ合い、そして話し合って互いに高まっていく過程は本当に素晴らしいものだった。私自身も、言葉ではまだ表現できないなにかを心の中にたくさん目覚めさせられた。そしてまた、阪大の森本教授がおっしゃった「Human network」というものも肌で感じることができた。それぞれの分野で活躍する人たちが、それぞれの体験や意見を交換しあい、ぶつけあい、高めあうことで、ある一つの大きな「医学」という目標に向かい全体が少しずつ向上しそうして始めて医療の進歩もあるのだ、と思った。「Human network」それは人と人とのサポートシステムであり、手に手をとって一つのことを成し遂げること。その大切さを思った。

 社会医学はまだまだ社会のニーズにつれて変わっていくべきものであろう。そしてその実践には、幅広い知識と人間に対する深い洞察、全人的感性が必要だと思った。

 それにしても、北海道はすごい。同じ日本でもこうも違うのかと思った。難しいことを考えなくてもいっぺんで考え方の変わる、そんな圧倒的な大きさと深さをもっていて、また機会を見つけて時々行きたくなる、そんなとてもあたたかいところだった。


M1 樋口華奈子

 この夏、医学部に入学して3年目の夏を大変有意義に送ることができたと、私は満足している。社会医学サマーセミナーが、想像以上に充実した時間を私に与えてくれたのである。医学に対する新しい概念が、私の中にすーっと入り込んだような、強いインパクトを与えられた。ヒトの幸せとは何なんだろうとかんがえることがあるが、幸せの条件とは「心身の健康」が最低かつ最高の条件として挙げられるのではないだろうか。そのような、心身の健康をはかる科学・技術が公衆衛生であり、その目的は人々の病気を予防することによる健康の保持増進である。よって、基礎医学が取り扱う病気のメカニズムという個体を越え、臨床医学が取り扱う各個体の疾病のレベルも越え、社会全体と個人の関わり合いを対象とする。つまり、医学とは病気を取り扱う学問であるが、病気だけみていても決して病気は減らない、と、社会環境を考慮する必要性を重視したマクロな医学が社会医学なのではないかと思う。病気はまぎれもなく、ヒト、ある個人の病気である。つまり、病気というものが単独にあるのではなく、"病気のヒト"として存在するのではないかと思う。このように、病気があくまでもヒトのものである以上、そのヒトが属している「社会」の病気なのではないか。あたかもそれは、ヒトのかけがえのない一生も、そのヒトの属している社会を超越して存在しないのと同じように。よって、社会が変わりそのニーズが変われば、社会医学の課題も変わり、課題にアプローチする方法も変わらなければならないのだろう。社会とヒトの関わり合いを対象とするのであるから、マクロな視野を持ってアプローチしなければならないのだろう。

今回のセミナーを通して、我々の存在ゆえに成り立つ社会と、その社会の中に存在する我々とを、改めて実感した。病気を個人の問題とだけとらえるのではなく、社会全体との関わりの中でマクロにとらえていくことの重要性を感じ、興味もうまれた。


S2 山本一博

 大学に入るまで、公衆衛生の「こ」の字も知らなかった。いや、単語としては知っていてもそれは医学部とは全く関連性のない言葉だった。医学部を卒業したら「おいしゃさん」になるか、もしくは試験管を握って研究室にこもるか、のどちらかなのだろうと思っていた。そして、自分は絶対に「おいしゃさん」になろうと思っていた。

 もともと私は人と触れ合っていることが好きな人間である。別に大きな望みも持っていなく、自分が属する狭い人間関係の中で周囲の人間とうまくやっていけることが、最も大事なことだと思っている。ちょっと正直すぎるので、修復不可能なほどに人間関係を破壊してしまうこともしばしばあるが。だから臨床に進んで、同僚とうまくやっていって、患者さんからほどほどに感謝してもらえれば、満足して生活していけるだろうと思っていた。

 さて、話は変わるが、私は今バイトで塾の講師をしている。教師というのも、なってみたいと思った職業の1つである。何らかの理由で医師になれなくなったら、次は教師を目指そうと今でも思っている。私が働いている塾は、個人経営の大変小さな所で、授業というよりグループレッスンのようなことをやっている。そのために1人1人ときちんと関わることができるので、なかなか気に入っている。

 自慢するわけではないが、私は教えることがうまい方であると自負している。さらに、バイトの割にはかなり真剣に取り組んでいる方だとも思う。生徒達からもほどほどに信頼されている。しかし、理想としていた職場環境のはずなのに何か満たされない。うまくやっている、と思う時に限ってふと、「こんなところで何をしているのだろう」という気がしたりする。本業(医学生)を疎かにしているせいかもしれないが。

 思うに私は「教える」ということに関して憧憬の念を持ち過ぎていたように感じる。別にそれが反省すべき事だとは思っていないが。私の考えている医師と患者の関係は、教師と生徒のそれに似ていると思う。最近ぼんやりと思う。私が医者になりたい、臨床に進みたいと思うのは、同じような憧憬の念から来ているのではないだろうか。

 セミナーにおける先生方の話は面白かった。「患者さんに感謝されることはないけれど」というフレーズがしょっちゅう出てきて、思わず笑いを禁じ得なかった。公衆衛生という考え方は、私が夢見ていた医師像とは対極に位置するといっても過言ではないかもしれない。目の前の患者のことではなく、むしろ全体的なことを考えるということからして。どの先生方もそういったことを考えつつも、それを克服してなお公衆衛生に熱意を持っておられるのだろうな、というのが良く伝わってきた。

 まだ低学年の自分がこんなことを言っては反感を買うかもしれないが、医学部に入って医者というのは随分とハッタリの多い、いい加減な学問だな、という気がしてきている。もちろん、一般人に比べて多くの知識を持っているだろうことは否定しないが、やはり自分が入学するまで思っていたよりは、一般人と医師の知識量というものはそう変わらないように感じる。

 まあ、でも多くの場合適当に治療しておけば良く分からなくても病気は治るのだろうし、患者さんにも感謝されるのだろう。それもいいや、という気持ちもある。ただ、一方でそれでは今のバイトと本質的にはそう変わらないのでは、とも思う。もちろん、医者の方が世間から受けがいいし、収入も多いのだろうけれど。

 また新たな幻想を抱いているだけかもしれないが、今回の社会医学セミナーに参加して、社会医学の分野に進んだ方が少しは自分が役に立っているという気がするのではないか、という気持ちが強まったことを感じる。これからじっくり社会医学について考えていきたい。