台湾班

○目的

 台湾陽明大学医学部を訪問、現地の医療を見学することで台湾と日本の医療環境や医療に対する考え方の相違点を探る。また、陽明大学学生数名を九州大学医学部に招待、種種の活動を通して、互いの社会状況や文化について理解を深める。同時に国境を超えた交友関係の構築を目指す。

○実施期間

 訪問:2000年3月10日(金)〜17日(金)

 受け入れ:2000年7月20日(木)〜27日(金)

○班員構成

 熱帯医学研究会 部員3名

○研修日程

訪問

3月10日  日本出発、台湾到着、Welcome Party   
3月11日  台北市郊外見学
3月12日  台北市内散策
3月13日  陽明大学見学、Culture Night
3月14日  病院見学
3月15日  病院見学
3月16日  病院見学、Farewell Party
3月17日  帰国


受け入れ

7月20日  Welcome Party
7月21日  City tour、病院見学(福大病院の針治療)
7月22日  法医学教室見学、Short trip(大宰府)
7月23日  Short trip(柳川)
7月24日  病院見学(心療内科、ICU、脳神経外科)、
        寄生虫学教室見学、Culture night
7月25日  分子病態学教室・医療システム学教室見学、
        City tour
7月26日  Paper presentation(遺伝子治療について)、
        Farewell party
7月27日  台湾学生帰国


○活動内容  

 台湾陽明大学とのエクスチェンジプログラムは元々産業医科大学で国際保険研究会が中心になって行っているものです。九州大学からは熱帯医学研究会が2年前から参加することになりました。今回が熱研として3回目の参加ということになります。本プログラムは春季休暇中に日本側の学生が台湾を訪問、夏期休暇には台湾学生日本を訪問します。主な活動内容は病院見学、Paper presentation、観光です。

 今回は台湾訪問を産業医科大学側と合同で実施し、受け入れは九州大学と産業医科大学で個々に独立して行いました。参加者は訪問が2年生の市川、桑内の2名、受け入れにはさらに3年嶋が加わりました。

 
T.台湾訪問

 この春,我々二人(市川、桑内)は台湾エクスチェンジの一環として台湾に研修に行ってきました。以下,その報告をします。

 
3月10日

 日本出発の日でした。見送りに予想以上に人が来てくれて,とても嬉しかったのを覚えています。季節は春で,日本だとまだ肌寒いぐらいだったのですが,台湾に着いた途端,蒸し暑さを感じました。無事到着後,空港から台湾の受け入れ側の人(彼の名前はSalamander 台湾の人達の名前は呼びにくいのでみんなこのようなニックネームを持っていました。)から車でホテルまで送ってもらった時,車のなかで日本語の歌が流れていたのには非常に驚きました。ホテルに着いた後,3つのグループに分かれて,しばらくホテル周辺を散策しました。ホテルの近辺にアメリカンスクールがあり,道では様々な人種の人をみかけました。途中,フライドポテト(さつまいも)をおごってもらったり,本屋に寄ったりしました。そうして,散歩が終わったのが5時10分。それから一時間部屋でゆっくりした後,台湾側の人々が開いてくれたウェルカムパーティーに向かいました。そこでいろいろな人と話しました。妙に日本語がうまい人(しかも大阪弁)がいたりしておもしろいなあ,と思っていたらその人はつい去年まで日本で暮らしていたという人でした。パーティーの途中,困ったことに頭がうまく切り替わらなくて,少しの間英語恐怖症になってしまいました。あんなに英語を喋ったのは本当に久しぶりでした。食事をしながらの談笑の後,風船割りゲームをしました。3列に分かれ,それぞれの列で二人ずつペアを組み,離れておいてあるイスに向かって走り,そこでパートナーの持っている風船を割って最後まで人が残っていた列が負けというルールでした。ゲームはかなり白熱して,あんなにはしゃいだのは久しぶりなぐらいでした。このゲームが終わった後,夜景を見に大学の裏の小高い丘のようなところに登ったのですが,あんなにきれいな夜景を見たのはそれまでの人生の中で初めてでした。北九州の皿倉山の夜景も絶景ですが,あの日の夜景は台湾での初めての夜ということもあり非常にきれいに見えたのを覚えています。夜景を見た後もホテルでささやかなドリンクパーティーが行われ,至れり尽くせりの一日でした。

 
3月11日

 台湾二日目はいきなり雨でした。山に登るということで,朝早く起きなければならず,みんな眠そうでした。朝食はハンバーガーとすごく甘いミルクティーでした。人によってはミルク粥みたいなのを飲んでいる人もいました。朝食後,バスに乗って山に行きました。最初,山の中にある滝を見たのですが,そこで得た感想が「自然ってどこでも一緒なんだなあ。」というものでした。妙に実感したのを覚えています。その後,見晴らしのいいところに登り,眺めを楽しみました。日本語を話せる老齢のガイドさんがいて,その辺の地理や歴史についていろいろ話してくれました。バスでさらに移動して,昼食をとりに畑の中にある店の中に入りました。そこでとった昼食に鍋があったのですが,その中に鶏の足が入っていて非常に驚きました。昼食を食べた後,海へ行きました。波で浸食されてできた妙な形の岩がごろごろしている海岸でした。海岸でしばらく潮風に吹かれて,九分という昔金鉱だった街に向かいました。ここは妙にいりくんだ街で,下手したら迷いかねない所でした。そこで食べたのがタロイモ餅の入った冷たくて薄いおしるこのようなもの。あっさりしてて結構好きな味でした。ここまではみんなで一緒に行動していたのですが,おしるこを食べた後にいくつかグループに分かれて街をまわりました。僕が一緒にまわったのは台湾のTony,Linus,Lisaと産業医大の永田先輩というメンバーでした。街の散策は楽しかったのですが,ただ一つ耐えられなかったのが匂いでした。豚の血で米をかためてつくる串焼きのような食べ物が売っていて,どうやらその匂いのようでした。この匂いはこの後も市場とか商店街とかに行くたびに嗅ぐことになるのですが,結局最後まで慣れませんでした。九分に着くまでは雨が止んでいたのですが,ここにきてまた降り出したため霧がすごかったです。本当に前が見えないほどでした。晩ご飯はホテル周辺のステーキ屋で食べました。日本円にして600円でサラダバーとデザートバー付きという破格の値段の店でした。

 
3月12日

 午前中は故宮博物館見学でした。日本でこれだけは見てきなさいといわれてきた,豚の角煮によく似た石を見ました。本当によく似ていて,まさに豚の角煮でした。これは見たものだけがわかるおどろきでしょう。それにしても,故宮博物館は広かったです。あれだったら,一日ではとうてい全てまわることができない,というのもわかる気がします。ちなみに故宮博物館の展示物は全てにせもので,本物は別の場所に厳重に保管してあるそうです。博物館見学後はいくつかのグループに分かれて,台北市を見てまわりました。僕のいたグループはまず,昼食(餃子と汁もの)をとった後,蒋介石記念館に行きました。大きな蒋介石像でした。あれは東大寺の大仏ぐらいあったのではないでしょうか。警護に当たっている憲兵がみじろぎ一つもしないので,思わずそばに並んで,写真を撮ってしまいました。それでも,気にせず職務を全うしていた憲兵に乾杯です。

 蒋介石と来たら,次は建国の祖,孫文です。でも,孫文記念館は蒋介石の像ほどインパクトのあるものは置いてませんでした。蒋介石,孫文とまわって,お腹がすいてきたので夕食をとることにしました。また,場所を移動したのですが,行った先は日本でいえば東京の池袋みたいな所でした。そこで,グループのメンバーおすすめの店に行ってたらふく食べました。食べたメニューは今,覚えているだけでも四種類(あんきも,くらげ,オムライス,かえるのからあげ),なかでもかえるのからあげは意外においしくて驚きました。晩ごはんの後は,台北の三越の展望台に登って,夜景をみました。台北でもこういう展望台はカップルだらけで,日本も台湾も結局変わらないんだなあ,としみじみしてしまいました。

 
3月13日

 この日は最初,中国医学研究所という所に行きました。ここは漢方を研究している所で,さまざまな薬草が展示してありました。僕はここで小さい頃からずっと気になっていた冬虫夏草の実物をみせてもらうことができ,念願が叶いました。ここでは台湾の医学部制度について,お話をうかがいました。普通に医者になる分には,7年間学校に通えばいいのですが,もし漢方も処方できる医者になろうと思うなら,もう一年間通って漢方の教育も受けなければいけないそうです。他にも薬の処方の仕方として,西洋の薬は2〜3日単位でしか処方できないのに対し,漢方は一週間単位で処方できるといった違いを教えてもらいました。この研究所を出た後,生化学の研究室をいくつかまわって,昼食をとり,学校見学に行きました。がん遺伝子のp53を研究している先生がいたのですが,この先生は研究室にやたらいっぱい漫画を持っていて驚きました。なんでも,学生が忘れていったのを捨てそびれているそうです。娘の写真まで見せてくれて,話もおもしろい先生でした。昼食は牛肉の入ったラーメンのようなものを食べました。イメージとして沖縄のソーキそばに似ていました。学校見学は校舎とか寮とか,部室とかをみながら学校を一周しました。学校見学の後,少し休憩をとって,今日のメインイベントであるカルチャーナイト。これは台湾側と日本側でそれぞれ出し物をするというものでした。向こうは伝統音楽,チャチャチャ(ダンス),ハーモニカの合奏,カンフーの演舞の4つの出し物を見せてくれました。こちらも歌や踊りを交えた劇をやり,好評を博しました。日本を発つ前はどうなることやらと危ぶまれた劇でしたがなんとか無事に終わり,ほっとしました。終わった後はホテルに帰って打ち上げ。朝から晩まで忙しい一日でした。

(文責 市川 太祐)



3月14日

午前 General veteran hospital department of metabolism, department of cancer treatment、ホスピス見学。

 なぜか眼底写真を撮ってもらった後に、糖尿病の話を聞いた。その際に、日本のGNPなど経済の話から文化まで様々な質問をされたが、そのほとんどに答えられず、いかに日本のことについて知らないかを痛感した。その後、始めてのホスピス見学だった。僕が始めてホスピスの存在というものを知ったのが、山崎章郎氏の「病院で死ぬということ」という本であった。しかし訪問したホスピスは日本の施設とは比べ物にならないくらい素晴らしいもので台湾の三大ホスピスの一つだそうだ。ちなみに他の二つのホスピスとはコンピューターで繋がっていて情報をやり取りしているそうだ。施設内は相当落ちついた雰囲気で人生の最期を迎えるにあたって、安心できそうな施設だと思った。また祭壇室にはいろいろな宗教に対応できるように、種々の祭器が用意されていた。各部屋には窓があり、とても明るい部屋で、また、家族が泊まれるように広くつくられていた。

昼間 陽明大学学長と会食。

午後 研究室訪問。学部長と会う。

 学長、学部長ともに多忙そうであった。特に学部長は間近に迫った総統選挙に関係していたらしく少しナーバスになられていたようだ。また学長としての仕事が忙しいらしく、自分の研究をする時間がほとんどないそうだ。午後に訪問した研究室の先生は、自分の研究について、とても分かりやすく説明してくださった。


3月15日

午前 病院見学

 この日は、スケジュールと少し違って外の病院を見学に行った。一体、何のビルなのだろうかというくらい大きい病院で、中もとても広かった。病院の説明をビデオで受けた後、中を見学したが、あまりに広すぎて迷いそうになった。

昼間 淡水訪問

午後 龍山寺見学

 共に台湾の観光名所のひとつである。どちらも台湾らしさというか、中国っぽい雰囲気を持った所である。特に龍山寺には夜訪れたのだが、なんとも言えない神秘的で荘厳で、それでいてどこか郷愁を帯びているという複雑な雰囲気が漂っていた。


3月16日

午前 General veteran hospital department of acupuncture見学

 針治療が国立病院の一診療科を占めているということにまず驚いた。西洋医学信仰の強い日本ではまず考えられない事だろう。患者さんの数もかなり多く、医師達もとても忙しそうだった。感染などの恐れがないように、当然針は使い捨てだが、医師は針刺しに気をつけているようには見えなかった。見学後、自分達同士で針を刺した。始めての針体験に少し怖かったが、実際に刺してみると痛みは全くなく、むしろ、刺した所が温かくなって気持ちが良かった。

午後 Paper presentation

 mental disease in modern lifeというテーマでプレゼンテーションを行った。僕にとってはうまれて始めてのプレゼンであり、しかも英語で行うということで相当緊張した。原稿も本番直前まで書いていたという始末であった。概して、台湾の学生はプレゼンが非常に巧いという印象を受けた。日頃から自分の意見を他人に分かりやすく、かつ論理的に主張する、という習慣が身についている為であると思った。

夜 Farewell party

 たくさんの人が集まってくれた。なぜか、日本人の女の子はチャイナドレスを着ていた。(一緒に行った市川君は嬉嬉として写真を撮りまくっていたような…)食事の後、カラオケに行ったのだが、そこでは身分証明としてパスポートの提示が必要だったのには驚いた。

 
3月17日

 帰国  夏の受け入れの時には、自分たちにしてくれたのと同じように、また、それ以上に持てなそうと考えつつ台湾を後にした。

(文責 桑内 慎太郎)


U.受け入れ

 次に日本での台湾学生受け入れについて報告します。
 

7月20日

 台湾学生の受け入れプログラムはこの日から始まりました。この日は台湾学生を歓迎する目的で主に熱研部員を集め、Welcome partyを開きました。台湾学生5人は、やや緊張した面持ちで自己紹介をしていました。


7月21日

 午前中、川端のリバレインにあるアジア美術館を見学したあと、昼過ぎから福岡大学医学部附属病院を訪ねました。福大病院では難治性疾患や慢性疾患に対して針治療を実践されている向野先生(スポーツ科学部教授)の診察風景を見学させていただきました。台湾学生への説明は以前、中国に留学していらっしゃった若いドクターがしてくださり、台湾学生も熱心に耳を傾けていました。同じ針治療でも台湾で行われているそれと向野先生が実践されている方法には違いがあり、向野先生の針治療は台湾学生にとっても新鮮なものだったようです。私自身は患者さんの訴えによく耳を傾け、ひとりひとりに丁寧に説明を加えて治療をされているのを見て、針を使うということ以外、針治療がそう他の西洋医学と違わないのではという感想を持ちました。見学のあと、自身が針治療の勉強をしている台湾学生が熱心に台湾の針治療について語ってくれました。彼はこの見学をとても喜んでいてくれました。


7月22日

 この日はまず法医学教室を見学しました。法医学教室資料室には普段目にすることができないような資料・物品が多数あり、まだ法医学を学んでいない自分には新鮮な驚きの連続でした。比較的学年の若い人達の来ていた台湾側も事情は同じようでした。一通りの見学あとは池田教授が法医学の実際についていろいろなことを教えて下さいました。台湾学生はいろいろな質問していました。
 午後は電車を使って大宰府に行きました。主に大宰府天満宮周辺を回り、大宰府に関する事物を台湾学生に説明していきました。この時を含め、今回の受け入れでは日本の事物を英語でわかりやすく伝えるのに自分が十分な英語の力を持ち合わせていないことが痛感されました。おそらく説明不足のためによく理解してもらえなかったことも多かったと思います。自分にとって今回の受け入れで大きな反省点の一つでした。


7月23日

 この日は日曜日ということで終日観光の日としました。柳川に行って、川下りをしたり、うなぎを食べたり、「お花」を見学したりしました。この柳川観光は台湾学生だけでなく、手伝ってくれた部員・部外参加者にも好評でした。


7月24日

 夕方まで1日、九大病院・医学部見学に費やしました。最初に心療内科を見学しました。久保教授、安藤先生に心療内科のあらまし、診察風景、治療方法などを大変詳しく教えていただきました。後で聞いたところによると陽明大学には心療内科にあたるものはないようで新しい領域に触れることができてよかったと言っていました。次に寄生虫学教室を訪ねました。ここでは資料室の標本を見ながら日本で問題となる寄生虫について古賀先生から説明をいただきました。後で台湾の学生に台湾の寄生虫について話を聞こうと思っていたのですが、機を逸していしまいました。今でも残念に思っています。

 昼休みをはさんで午後はICUと脳神経外科を見学しました。ICUでは谷山先生にICUの中を実際に案内して頂き、ICUの現状と新病院でICUがどう変わるかの説明を受けることができました。脳神経外科では一通り病棟を回った後、福井教授から珍しい症例についてのミニレクチャーを受けました。これらの設備や雰囲気は台湾とそう大差はないようでした。台湾の学生たちは新病院や珍しい症例の話に興味を持っていました。

 夜はCulture Nightと称して九大側、台湾側が双方出し物をしました。九大側は軽音楽部の人に協力してもらって音楽中心の出し物をし、台湾側は小演劇と演舞を披露してくれました。台湾側の演舞は本格的なもので九大の学生は感嘆の声をあげていました。互いに相手の新しい一面を発見できた楽しい夜のイベントでした。


7月25日

 午前中、医療システム学教室と分子病態学教室を訪ねました。医療システム学教室では萩原先生から医療システム学教室の研究テーマについて話を伺いました。一通り説明が終わったあと、雑談で話が台湾の医科大学に及びました。台湾の医科大学が今設立ラッシュにあることや医師供給に現状についてなど大いに話が盛り上がりました。分子病態学教室では住本教授に分子病態学教室の研究テーマについてミニレクチャーをしていただき、ついで研究設備を見学させていただきました。台湾学生はあまり台湾には数がないというシークエンサー(DNAの塩基配列を読み取る機械)に興味を抱いていました。

 午後は福岡市美術館で葛飾北斎展を見たり、福岡タワーに上って福岡市内の夜景を見たりと市内観光をしました。


7月26日

 この日はまずPaper Presentationを実施しました。題目は「Gene Therapy」。九大側は市川君が中心となって日本で遺伝子治療が許可されるまでにいきさつ、そしてその実施状況を発表しました。一方、台湾側は台湾で多い肝癌の原因遺伝子から話を起こして、今世界規模で進められている「ヒトゲノムプロジェクト」の一翼を担う台湾の研究活動について発表してくれました。台湾側は「Gene Therapy」というテーマをいわゆる「遺伝子治療」ではなく、遺伝子とその臨床応用というぐらいに広く捉えているようでした。最後の質問タイムでは遺伝子治療が自然界に悪影響を及ぼさないかといったことや遺伝子治療の負の側面について議論が交わされました。

 午後、病院長の中野先生を訪ね、今回のプログラムについて報告をしました。その後、福岡市内で自由行動をし、夜はお別れ会としてFarewell Partyを開きました。この会には産業医大国際保険研究会の人達も駆けつけてくれました。


7月27日

 部員をできる限り集め、台湾学生を福岡空港で見送りました。こうして台湾エクスチェンジプログラムは無事終了しました。

 
受け入れを終えて

 今回の受け入れを通して大きく2つのことを学びました。一つ目は物事を企画・実行することの難しさ。今までも似たようなことに取り組んだことはあったのですが、今回、班長として事にあったってみてこのことをなおいっそう痛感しました。九大病院並びに医学部の先生方に見学を依頼したり、宿をとったり、食事をするところを決めたりとあることと他のこととの兼ね合いをつけながら一週間の予定を立て、実行することは予想以上に大変でした。

 二つ目は外国の同世代の人間と接し、コミュニケーションをとることの面白さと困難さ。今回は英語で会話を交わしたのですが、自分の英語の未熟さゆえに非常にもどかしい思いをしたことがよくありました。一方で漢字を使った筆談で互いに共通の文化を意識したり、いろいろなことにつけて微妙な考え方の違いに気付いたりといろいろ貴重な体験をすることができました。

 この企画では信友先生をはじめ、福大病院の向野先生、九大病院・医学部の先生方に大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます。また、有形無形の援助をして下さった軽音楽部や産医の国保研の皆さん、熱研部員等々にも感謝の意を示したいと思います。ありがとうございました。 

(文責 嶋 秀一郎)