九大熱研HOME活動報告書2002年度ケニア班

ケニア班

活動目的

 ケニアの医療施設や、日本の医療援助の現場を見学することで、ケニア、ひいてはアフリカ諸国における医療問題の現状と課題を知る。同時にその活動を通じ て、これからの21世紀において世界の一員としての日本に求められている役割を知り、その日本で医療に携わる一員としての私たちの拠って立つ位置について 考える。

 また、アフリカの人々の生活を目にすることで、実際に途上国ではどのような医療が求められているのか、そして、日本とアフリカの生活環境の違いが様々な 医療協力を行う上でどのような障害となっているのか考えてみる。

班員構成

山本 一博 班長  (九州大学医学部 4年)
谷口 秀将 副班長 (九州大学医学部 5年)
小野 宏彰      (九州大学医学部 2年)
刀根 聡       (九州大学医学部 2年)
村上 剛史      (九州大学医学部 2年)

研修期間および研修地

7月19日〜8月9日 ケニア中央医学研究所、ケニヤッタ病院、クワレ村、等
8月13日〜8月14日 タイバンコク・マヒドン大学

橋本イニシアティブとは

 橋本イニシアティブは1997年のデンバーサミットにおいて当時の橋本首相によって初めて世界に提唱された行動指針である。1998年のバーミンガムサ ミットにおいて再び提唱され、G8の国々からも歓迎された。その趣旨を簡潔に説明すると以下のようなものになる。

 「日本は寄生虫のコントロールにおいて、世界でも類稀な成果を達成している。戦後国中に蔓延していた寄生虫疾患だが、現在国内にはほとんど残って いない。興味深いのはこの成果が経済発展の中で自然と達成されたわけではなく、高度経済成長以前に達成されたという点である。それはスクールへルスを中心 とした、医療・行政・教育が一体となった包括的アプローチで達成されたものである。多くの発展途上国において、寄生虫疾患は依然として大きな問題である。 日本は経験から得た寄生虫コントロールのノウハウを世界に伝えることで、世界の寄生虫コントロールに貢献していきたい。

 日本の途上国への援助は、まだそれほど長い歴史があるわけではない。橋本イニシアティブはその短い歴史の中で、初めて日本が主導権を取って行おう としている大規模な計画である。橋本イニシアティブが日本の援助の流れの中でどのような位置付けにあり、どのような特徴を持っているのか、援助の歴史とい う点から私なりに考察してみたい。

日本のODAの経緯

 日本の援助の大きな特徴は第二次大戦の賠償問題と絡めて始められたという点にある。そのため早くも1954年にはアジアの国々への援助が開始されている [1]。朝鮮戦争の特需によりやっと経済が回復し始めたとはいえ、国連加盟でさえも1956年になってからであり、池田勇人の国民所得倍増計画が1960 年である。当時の日本の経済状況を想像するに、アジア諸国への援助が輸出振興政策とマッチした「ひも付き=タイド方式[2]」の形を取ったことは仕方のな いことだろう。まだ日本自体が途上国の端くれであり、他国を援助する余裕などはなかったのだ。日本のODAに関してしばしば「金額の大きさの割に、諸外国 のものと比較して有償援助やタイド援助の割合が高く、途上国に対して厳しい」というような批判があるのにはこうした背景がある。

 ところで、欧米には植民地経営の一環として援助には長い歴史がある。言わば「飴と鞭」の飴としての援助であり、植民地行政をスムーズに行うための社会基 盤整備としての援助である。ここでは援助の目的というものがはっきりしている。

 一方で日本の場合には援助に戦略・目的というものがない。日本も台湾や韓国・満州においてインフラ整備を行っているが、その経験は戦後の援助政策には受 け継がれていないように思える。それはおそらくは担い手である人々が全く違ったということ、そして賠償としての援助が全く違った視点で行われたということ によるだろう。戦後しばらくの日本の援助の最大の目的は、東南アジアの国々に対してお金が流れるという事実そのものにあり、それ以外の目的は存在しなかっ たのだ。

 また、当然ながら援助がアジア諸国に何をもたらしているのかも、考慮されることはなかった。もちろん、個人レベルでは人々の生活向上を真剣に目指す人も いただろう。しかし政策として考えた時に、援助の結果が二の次であったことは想像に難くない。

 初期の援助形態の典型例はダム建設に代表される大型インフラストラクチャー整備である。そこでは、日本政府が日本企業に東南アジアでの工事を発注すると いう形態が取られた。その建設費が援助額として計算されるわけだ。やっと回復しかけた国内経済を破綻させずに援助を行うには、まさにこの方式以外有り得な かったのだろうが、援助の過程において日本政府と途上国の独裁政府、日本の政治家、企業、などの間にビジネスを超えた密接な関係が生まれたことも否定でき ないことではあると思う。

 本来なら日本のODAのこうした特徴は、賠償としての援助が終わり、経済が発展していく中で克服されておくべきものだった。ところが、振り分けられる予 算が増加する中で、改善されることもなくただ規模だけが膨れ上がっていった。そこが日本の援助の最も重要な問題である。

 一つの理由として、高度経済成長期には社会全体として矛盾点を内包しながらもひたすらに突き進むという考え方が主流だったからであり、また日本社会にそ の余力があったからだということがあると考えられる。しかしそれに加え、やはり日本人の国民性として、慣習を重んじ改革に着手するのが遅いという理由もあ るだろう。だから他の分野での行政改革と同じように、近年になって経済が失速してきて初めて、そういった問題点に眼が向けられるようになったのだ。

 言い替えると初めて援助を考えなおす機会が与えられたとも言える。日本が真に世界の先進国たりえるかという真価が今問われている。

途上国援助を見直すためには、まずその目的から明確にしないといけない。

1. 先進国の義務
2. 外交カード
3. 長期的な市場開拓
4. 世界の安定
5. 環境問題対策

もちろんこれらは複雑に重なり合っている。それぞれ詳しく述べはしないが、こういった考え方をバランスよく取り入れながら行っていくのが理想の援助の形態 であると思う。


日本の医療援助

 医療援助の歴史もODA全体の流れを反映している。50年代における医療援助は、とりあえずドクターなどの医療従事者を現地に派遣して、病院などのイン フラ整備を行う、というものであった。ダムと同じように、まず造ってみようということだ。各国の首都など大都市で、よく日本の援助により建設されたという 大きな病院を見かける。それらはこの考え方に基づいて建設されたのだろう。

 ところが主要都市の病院などはあえて援助を行わなくともそのうち整備されていくものである。一方で途上国は概ね貧富の差や地域差が激しく、都市周辺以外 は基本的な生活基盤も構築されないまま放っておかれているのが現状である。都市の大病院は、もちろん相手国には歓迎されるだろうが、しかし都市から離れて 生活している人々には寄与しない。さらに途上国ではそのように田舎で暮している人の方が多数を占める。果たしてこれで良いのだろうか。

 ここで大きく2つの考え方がある。まず、援助というものは外交カードの1つに過ぎないので、相手国政府が喜んでくれるのであれば十分に目的を達成してい る、という考え方。もう1つは、国自体よりも途上国の人々の生活を改善していくことを目的としなければならないのではないか、という考え方。前者の理由と して、国として行う援助は国民の税金を使っているのだから、何ら日本国民に、そして日本の発展に寄与しないような人々の健康状況を考慮する必要はないとい うものがあるだろう。確かにODAはNGOではないのだからその通りである。しかし、あまりにそういった視点のみを追求するのは少しグロテスクではないだ ろうか。この疑問は誰もが悩む出発点であり、そしてまで実際に現場で援助計画に携わる人々にとっても最後まで疑問でありつづける点の1つだと思う。

 そんな中、WHOにより1978年に採択されたのがアルマアタ宣言である。その趣旨は「最低限の健康は世界の人々共通の権利であり、国際社会はそれを達 成するために努力していかなければならない」というものだ。異論はあるかもしれないが、世界中の人々の、少なくとも最低限度の健康を視野に入れることが国 際社会の義務である、という考え方が一応主流のものとされたわけである。アルマアタ宣言では、最低限の健康状態を維持するのに必要な、最低限の医療行為を プライマリヘルスケアPHCと呼び、これを2000年までに世界中で達成することを謳っていた。これは結局満足に達成できないまま今に至っている。とはい え、このアルマアタ宣言の核であるHealth for Allが今でも世界の医療援助の目標の1つであり続けていると言ってもよいだろう。

 これに従って日本の医療援助も70年代より、インフラ整備を重視したものからHealth for Allを達成するために感染症やPHCに焦点を絞ったものへと変わっていった。そして現在では日本の医療援助の焦点は、マラリアなど寄生虫疾患、結核、エ イズ、PHCとなっている。これはWHOも同じ足並みである。途上国の医療を見学に行く時には、これらのキーワードに癩病、ポリオなどのワクチン、に関す る情報を押さえておけば大体状況が理解できるのではないだろうか。

橋本イニシアティブの理念

 寄生虫疾患はエイズなどと違い致命的ではないことが多く、確かに人々にとってそれほど恐ろしい疾患ではない。罹患していて当然という認識さえある。つい 対策を後回しにしてしまうのも無理ないことだろう。しかし、寄生虫疾患の罹患率は時に80〜90%もの高さになるため、国全体で見てみるとその弊害が無視 できないものとなる。宿主を殺すことはないものの、慢性的に健康に影響を与えることにより、例えば職場における仕事の能率が下がる、学校で児童の成績が統 計的に下がる、などのことが起こりうる。また、患者1人に掛かる診察代や治療代は安くとも、全体として考えた場合に、大量の資金が非生産的に消費されてし まう。本来ならその資金はコミュニティーの生活レベルの向上のため、そしてひいてはインフラ整備など経済成長に必要な社会基盤整備へと注がれるべきものな のだ。このように寄生虫疾患は貧困の病であり、コミュニティーの病である。これらの課題を乗り越えることがコミュニティーの発展につながる。少なくとも、 日本の場合はそうであった。

 橋本イニシアティブは日本の経験を生かして、世界中の寄生虫コントロールに取り組もうというものであるが、日本の経験とは一体どのようなものなのだろ う。

 日本は戦後確かに寄生虫が蔓延していた。学童期におけるSTH[3]の感染率は90%にも達していたと考えられている。それが今では事実上全く存在しな い。なぜこのような成果を達成することができたのだろうか。経済の発展により衛生環境が激変したためという理由もあるだろう。もちろんその通りだが、それ だけで説明できるわけではない。経済発展の時期と、寄生虫疾患の罹患率が減少した時期というのは必ずしも一致しない。日本は終戦直後から、GHQなどの手 も借りて、大々的にマラリアなど寄生虫対策に取り組んでいる。そして、今のような経済発展をとげるはるか以前に、寄生虫のコントロールという偉業を達成し てしまったのである。その時期は日本の高度経済成長が始まった時期とおよそ一致している。寄生虫疾患の罹患率の低下がまさに経済発展の後押しをしたという 見方もできる。

 日本の寄生虫対策は、別に特別なことをやったわけではない。唯一特徴と言えそうなのは、人々のbehavior changeを促すために学校保健を中心にしたアプローチを行ったという点である。今でも小学校で「外から帰った時はうがいをして手を洗いましょう」と教 えているが、それと同じように、寄生虫疾患の恐ろしさ、伝播の様子、防ぐ手段、などを義務教育を中心に徹底的に教え込んだのである。このスクールヘルスア プローチ以外の方針としては、感染のチェックや治療といった基本的なことを、包括的に徹底的にやりこんだに過ぎない。要約すると対策のキーワードはスクー ルへルス、包括的、徹底的、という3つにまとめることができるだろう。だから、基本に忠実にこの3つを行う事により、途上国においても寄生虫コントロール が可能なのではないか、というのが橋本イニシアティブの根拠となっている。

 おそらく、そんなにうまくいくなら苦労しないよ、といった意見が大多数だろう。確かに、前述の日本における寄生虫コントロールの成功には、例えば就学率 の高さに代表されるような日本独特の理由があるのは確かである。当時の日本は現在の途上国と比較すると、経済指標の割に識字率も高く、行政・教育システム もしっかりしていたし、人々の行政に対する信頼感や国家に対する忠誠心や公共心というものも発達していた。だから、実は寄生虫コントロールを達成できた根 本的な原因はスクールへルスではなく、そういった充実した社会基盤である、という考え方もできる。そうだとしたら、同じアプローチを途上国で行ったとして も成果を挙げることはできない、ということになる。

 それはある意味で真実である。結局は寄生虫疾患を撲滅できたことが発展につながったというよりも、そういった寄生虫コントロールを前述のように効果的に 行える社会基盤こそが経済発展の母体となったという考え方の方が正しいだろう。だから実は橋本イニシアティブの本旨は、そういった行政システムから人々の 公共心に至るまで、そのような数字に表れない社会基盤というものを、寄生虫コントロールという政策を通じて築き上げることにあるのであって、寄生虫疾患の 罹患率の低下というものはその結果として成し遂げられることの1つの指標に過ぎないのである。

 言うのは簡単でも実際に行うとなると難しい。すぐには効果の現れないプログラムである。しかし、このような政策を国家レベルで実施することにより、国家 としての経験を積むということ、それが経済発展のためには結局不可欠なのではないだろうか。単に寄生虫の罹患率を低下させるということにお金を注ぎ込むの であれば、より短期間で目に見える効果を上げるやり方もあるだろう。しかし、それだけでは対症療法に過ぎない。アフリカのとある国の行政官が、自国のコ ミュニティーで大規模にヘルスサービスを展開しているNGOについて、次のように述べていたということを聞いた。「私たちが自分たちの手で公的医療システ ムを作り上げるのを、NGOが邪魔している。」途上国の発展のためには、彼ら自身の手で何かを行わせる、彼ら自身が何かを計画して実施していけるようなノ ウハウを身につけさせる、という視点が最も重要なのである。

 「優秀な将軍は無力な兵士でも勝てるような戦い方をする。優秀な政治家は無能な将軍でも勝てるような戦争をする。」という考え方がある。途上国で何らか のプロジェクトを実施するに当たり、この考え方に基づいて行うのもいいだろう。しかし日本はずっと個人個人を優秀な労働者、優秀な兵士とすることを目指し てきた。技術において熟練しているというだけでなく、責任感や公に奉仕する心などといった精神面でもそうである。社会のシステムが個々人の質の高さに頼っ て構成されてきたとも言える。第ニ次世界大戦の時のようにそれが行き過ぎて精神論に頼り切ってしまうという失敗もあるが、結局そういう考え方をしてきたか らこそ、日本のような小国がここまで発展することができたのではないだろうか。もちろん幸運だったのは事実であるが、日本人の国民性が原因の1つであると いうことも否定できないのだろう。

 日本と他の国々では歴史的な背景というものも全く違う。精神構造にも大きな差がある。日本人の考え方を押し付けることは不可能かもしれないし、または傲 慢な意見なのかもしれない。しかし、ひょっとしたら人々の1人1人が労働者として、そして国民として熟練することこそが、最も経済発展の王道かもしれない のだ。「ちょっと日本的な考え方に試しに従ってみて、国の発展を目指してみませんか?日本がそれをお手伝いしますから。」この考え方こそが橋本イニシア ティブである、そして日本の途上国援助の中心原理であると言ってもいいのではないか、と私は感じた。

橋本イニシアティブの現状と課題

 では、このような理念に基づいて、実際にどのようなことが行われているのだろうか。厚生省内に設置された「国際寄生虫対策検討会」において、1998年 の報告書では以下の4つの戦略が提唱されている。

  1. 寄生虫対策を効率的に進めるための国際協力の効果的推進
  2. 寄生虫対策の科学的根拠となる研究の推進
  3. 効果的な寄生虫対策プロジェクトの積極的展開
  4. 寄生虫対策を適切に推進するためのG8各国の体制の強化

 この戦略に基づき、日本はタイのマヒドン大学、ガーナの野口医学研究所、そして我々が訪問したケニアの中央医学研究所(以下、KEMRI)の3ヶ所に寄 生虫コントロールセンター(以下、CIPAC[4])を設け、そこに対象国の人々を招き、人材育成を始めている。現状ではスクールヘルスに基づいて寄生虫 コントロールを始めようとしても、児童に衛生教育を施せるような教師がいない。まずはその教師をトレーニングすることができるような人材、さらにそのト レーニングプログラムを統括できるような人材が必要である。そこで現在CIPACでは、医療行政的な視点から国全体の寄生虫コントロールを概観し、指導し ていく立場の人々を最初に養成している。

 ケニアのCIPACでは、2002年8月6日から8日にかけて、寄生虫コントロールに関する国際シンポジウムが開催された。シンポジウムにはアフリカ諸 国の厚生大臣や国際機関の関係者が出席し、ケニアのCIPACの紹介と、今後の寄生虫コントロールへの取り組みについてディスカッションが行われた。我々 は偶然にこのシンポジウムを聴講させて頂くことができた。シンポジウム自体が訪問目的ではないのでディスカッションの詳しい内容を書くことはしないが、実 際にプロジェクトをやっていくにあたり、どのような点がネックとなっているのか、少し理解する事ができた。

 やはりまず争点の1つだったのは資金面の問題である。途上国に資金が無いということに加え、その少ない予算の中で寄生虫コントロ−ルに振り分けられるお 金というものがさらに少ない。やはりエイズなどに比べると、寄生虫疾患はプライオリティーが低いようであった。「何でいまさらエイズではなく寄生虫なん だ?」という意見もあったくらいである。仮にCIPACで研修を受けて帰国しても、プロジェクトが動かなければ経験を活かす場はない。それでは研修に使わ れる資金が無駄になってしまう。それを防ぐためには人材育成の前に、途上国政府との間に国ぐるみで寄生虫コントロールを行っていくという合意が必要であ る。そのためには政府の人間に繰り返し橋本イニシアティブの趣旨を説明し、協力を求める場が必要となるわけである。援助を行うにあたり、シンポジウムやレ セプションといったものの重要性を肌で実感した。結局、国の行う援助というものは本当に外交の一環なのだな、と感じた。

 ただ、合意を目指す際に、橋本イニシアティブの趣旨が分かりにくいことは、問題の1つである。「寄生虫コントロールのプロジェクトではあるが、寄生虫疾 患のみを目的としているわけではない。保健問題を総合的に扱うことができる人材の育成が主目的であり、寄生虫コントロールの達成は結果的に成し遂げられる に過ぎない」などと説明しても、簡単に理解してもらえているとは思えない。前言を翻すようだがこういったプロジェクトを実施するに当たり、単純明快で誰に でも分かりやすいものの方がいいことは明らかである。最初は具体的な数値の目標や、端的なスローガンのようなものでもあった方が、各国の関心を得やすいだ ろう。それこそ例えば「日本のように寄生虫疾患を撲滅し、そして日本のように経済発展を目指そう」のような。とにかく、衛生分野のプロジェクトは常に徹底 的に行うことが重要であり、どの程度の意気込みで取り組むかによって、達成される成果が違ってくるわけだから、実はプロジェクトそのものよりもみんなをそ の気にさせることの方が重要なのかもしれない。

 また、研修を受けた人が途上国政府ではなく先進国の研究機関や民間企業に就職するといった、人材流出も大きな問題だという。国家の業務の一環としてト レーニングを受ける機会を得たのなら、国のためにその経験を活かすべきだ、という考え方はほとんど存在しないようだ。基本的にまだ国家というよりも部族・ 一族に対する忠誠心が強く、国はあくまでも踏み台というか、キャリアアップの場としか捉えていないようだ。そういった抜け目のなさを、有能と見るか狡猾と 見るか、人によって評価の分かれるところだろう。とにかく流出を防ぐためには、行政システムをしっかりして、義務をきちんと果たすことを強制すると同時 に、きちんと経験を活かす場を与えなければならないだろう。

 援助に慣れてしまった途上国政府の体質も大きな問題である。確かに、何を始めるにしろ資金が不足しているのは事実なのだろう。しかし、自分たちの国の問 題なのに、ドナー国と共に計画を作り上げていくという考え方が少し欠けている。何かのプロジェクトが提案されたらまず「そのプロジェクトの資金にはどのく らいの額を援助してもらえるのか」という考え方になるのはどうなのだろう。これでは旧宗主国などが啓蒙主義的な考え方になってしまうのも仕方ないように思 える。まだ国家のような大きな組織を築き上げるほどコミュニティーが成熟していないのか、それとも長年の植民地支配がそうしてしまったのかは分からない が、大きな視点というものに欠けているように感じた。少しアフリカを見ただけでこのような考えを持つのは傲慢かもしれないが、シンポジウムを見てそう感じ てしまったのは事実である。


 被援助国から援助国である日本の方に眼を向けてみても、たくさんの課題がある。まず、既に諸外国や国際機関を巻き込んで動き始めているにも関わらず、橋 本イニシアティブには特別に予算が付けられているわけではない。CIPAC設立などの予算は既存のJICAの枠組の中から出資されている。タイの CIPACでは既に研修プログラムが開始されているが、これはJICAの第三国研修という制度を使って行われている。橋本イニシアティブはプロジェクトで はなく、1つの行動指針に過ぎないのだ。ところがJICAは基本的に2カ国援助を行う機関であって、橋本イニシアティブが目指しているような多国間協力を 実施する機関ではない。例えばケニアのCIPACにタンザニアから技術者を招いて研修を行ったとしよう。しかし、研修生が国に戻って寄生虫対策のプロジェ クトを実施しても、それに対して補助を行うことはできないのだ。それはタンザニアの国内のプロジェクトであり、ケニアのJICAの管轄外となるからだ。こ のことが地域ぐるみのプロジェクトを実施する際には、大きな障壁となってくる。またJICAの他の部門にしてみれば、橋本イニシアティブのために寄生虫関 係に予算が回されるのだから、おもしろくはないだろう。

 実際に寄生虫対策を行うためには、研修を終えた技術者たちが実際にプロジェクトを開始するところまで意識を向けるべきで、彼らが帰ってから何もしないの であれば、そもそも研修に注ぎ込まれるお金も全て無駄なものとなってしまう。それを可能にするには、実際にCIPACに国を超えて援助する権限を与える か、もしくはJICAが国を超えた横のつながりを持たなければならない。しかし、この橋本イニシアティブの構想が打ち出され、タイでのプロジェクトでは既 にその問題が表面化しているにも関わらず、組織としてのJICAにはまだ何の変化も見られないという。

 橋本イニシアティブも理念は立派であるが、やはり外交カードの援助である以上弊害が出てきてしまうのは仕方のないことである。例えばCIPACが置かれ た3ヶ国にしても、寄生虫コントロールを行う上で都合が良かったわけではなく、日本との外交関係で選ばれたのである。そういった本部が置かれると、やはり 資金がその国に流れ込むからである。そのため、国力を考えれば西アフリカであればナイジェリアに本部を置くのが適切なのになぜガーナに置くのか、そもそも 世界の寄生虫コントロールに貢献していこうというのに南米に本部を置かずにアフリカに2つなのはなぜか、などといった疑問が出てきてしまう。

 つまり、外交関係上ある特定の国に資金を落としたい、人道的見地から援助が求められているがなるべく少ない予算で大きな効果を挙げたい、寄生虫コント ロールであれば日本が世界にイニシアティブを取っていけるのではないか、そういった考えをとりあえず一緒にくっつけて1つのプロジェクトにしようとしてみ たわけである。外交問題は常に複数の視点が絡み合っていて複雑であるのは分かる。しかし、複数の視点を組み合わせてみた時に整合性があるのか、1つのプロ ジェクトとして成り立つのか、お互いの利点や目的を潰しあってしまわないか、などといったことを最初にもっと考える必要があるのではないだろうか。日本の 途上国への援助が全て1つの視点で貫かれるなどとは思わないが、全体としてもう少し流れというものが存在してもいいのではないだろうか。

 アメリカの世界戦略には、1つの姿勢がきちんと貫かれているということが良く言われる。1つの視点を追求するからか、確かに途上国におけるCDCなどの 活動の様子を見るとダイナミックである。それが常に正しいとは言わないが、日本はもう少しアメリカを見習った方が良いと思う。世界最大の援助国となった割 には、援助のやり方がお粗末のような気もする。漫然と広がっただけ、とでも表現するべきか。そろそろ援助というものを少しは戦略的に考える専門機関ができ てもいいのではないだろうか。

 その際に大事なことは、現場の意見を大事にすることだろう。途上国ではおよそ日本では考えられない非常識なことが起こりうる。現地の行政システムなどを 利用しようにも、日本とは成熟の度合いが違うし、人々の価値観、姿勢というものも全く違う。日本の行政機関以上に、現場の様子というものが分からない。何 らかのプロジェクトを始める際に、必ず最前線との情報交換が行われなければ、実質的に意味のある援助政策を考えることはできないだろう。


 日本の外交には戦略がないとよく言われるが、援助についても同じことが言える。今までの援助は場当たり的に実施されてきた。サミットで採択される宣言や WHOの行動に合わせて金を出すだけだった。しかし、戦略がないというのなら、それは経済活動や全てにおいてそうなのではないだろうか。私は戦略を1つに 定めるのではなく、各人が臨機応変に対応するのに任せる、ということが実は日本人の特性なのではないかと考えている。結局それが個人個人の自律を促し、引 いては今の経済発展につながっているのではないだろうか。独裁者を望まない風潮、急激な変化を良しとしない風潮、国民総中産階級と表現される社会、そう いったものは全て根を同じくした日本人の国民性というものではないだろうか。

 実際、援助に関しても確かに戦略が見えないかもしれないが、だからと言って失敗しているわけではない。国によるかもしれないが、JICAや青年海外協力 隊の人々はコミュニティーの中にうまく溶け込んで、日本という国のイメージを良くしていると思う。援助に戦略性がないからこそ、現場における活動はまさに 携わっている各人にのみ依存している。そしてそれが必ずしも失敗していないのは、すなわち1人1人の質の高さによるのではないだろうか。「質の高さ」とい う表現がよくなければ、異文化の中でうまく折り合いをつけてやっていく能力と言い替えてもいい。

 もちろん、いつまでもこのままで良いと言いたいわけではない。繰り返しになるが、同じ価値観の人間ばかりがいる日本の中と違い、これからはもう少し日本 の戦略というものを打ち出していかねばならないだろう。橋本イニシアティブは初めて日本がイニシアティブを取って動くことができるかもしれない計画であ る。派手ではないかもしれないが、派手な計画など所詮はその場限りの対症療法にすぎない。スクールヘルスに基づいた日本のアプローチは今や世界的にも高く 評価されているのだ。ひょっとしたらこの緩やかな手法が、世界の公衆衛生において大きな成果を達成できるかもしれないのだ。世界がこれまで試みてきたこと を、日本のやり方で少しずつでも達成していけるとしたら、これほど痛快なことはないではないか。途上国の日本に対する見方は、今のところ経済大国というこ とに留まっているが、こうして世界中のコミュニティーに貢献していければ、真に世界の尊敬を集める事ができるようになるかもしれない。日本が国際社会の中 で成熟していく第1歩として、橋本イニシアティブがうまくいくことを心から祈っている。

 最後になったが、無知な学生を忙しい中に受け入れてくれたケニアJICAの方々、日本のJICA本部の方々、ケニアに派遣されている専門家の方々、そし て長崎大学の青木先生を始めとして寄生虫学会の先生方に、感謝の意を表したいと思う。

クワレでの活動

 キリマンジャロの麓にある町のモシからケニアとタンザニアの国境に位置するタベタを経てモンパサへと半日かけて移動した。シャトルバスで移動したのだが 道は非常に状態が悪くガラスが音を立てるほど揺れた。モンパサはケニアの第二の都市とはいうもののナイロビと違い近代的な建物などは数少なく、物価(飲食 代)がかなり安かった。インド洋を眺めながら小さなフェリーでクワレへと向かった。クワレでの滞在期間、私たちはJICAのゲストハウスに宿泊させても らった。そこで文化人類学の教授の門司先生にお会いし明日のマチンガでのフィールドワークに同行させてもらうことになった。

 次の日朝食をとるために村の中心部に行ったのだが、様々な小さい店が数十店舗集まっただけのところであった。やはり物価は安い。それでもそこにいる人た ちは活気づいており村の流通の中心という印象を受けた。朝食を済ませた後、我々は2グループに分かれエイズ・マラリア研究所と地域密着型の診療所に移動し た。その道中elephant sanctuaryと呼ばれる野生の象の生息地を通り、外国人の観光客を乗せたバスとすれちがった。

 エイズ・マラリア研究所は規模が小さいものであり、普通の研究室ほどであった。そこにはエイズの検査キットなどがおいてあり、またVCT (volunteer counseling and test)も設けてあった。このVCTというのは、簡潔にいうとエイズの検査を受けその結果が出るまでに、もし陽性の結果が出た場合今後どのようなことに 気をつけながら生活していくべきかを事前にカウンセリングすることである。アフリカの都心部ではVCTの看板が数多く点在していた。そしてまた同時に隣接 した小さな病院も見学した。

 一方、診療所もまた小さなもので2,3部屋しかなかった。そこを訪れる患者にはマラリアや風邪や熱の症状の人たちが多いとのことだった。他には家族計画 もしていてその日説明を聞きに生後3ヶ月の子供を連れた母親が訪れていた。また、建設中のナースの宿泊施設なども見学したのだが非常に単純な造りだった。 診療所の隣には小学校があり、そこでまた見学させてもらった。授業中教室を訪れ子供たちの教科書を見せてもらい、指導している教科やその内容などを教えて もらった。やはり私たちのような外国人は珍しいらしく子供たちは好奇な目で私たちを見ていた。また、住血吸中対策のための簡易なシャワールームなども見 た。それから診療所の職員の方から近所にある住居を2軒見せてもらったのだが、両家族とも貧しいそうで建物も非常に古くて汚く、また家畜と一緒に住んでい るので衛生的にも問題があると思った。

 そしてその後先生たちと一緒に少し甘みのあるお粥のようなものを子供たちに一人ずつ配った。どのくらいの効果があるのかはわからないのだが、その際子供 たちに川で遊ぶことや裸足で遊ぶことは危険であることを注意しながら(住血吸虫予防のため)配布していった。おいしそうに子供たちは食べ、喜んでおかわり している子たちもたくさんいた。私たちも一緒に食事をしながら子供たちと遊んでいた。折り紙をしたり、動物の絵を書いたり、サッカーをして楽しい時間を過 ごした。

 ナイロビは私たちがイメージするアフリカとは違い、非常に近代化が進み高層ビルもある都会だったが、クワレでは象が近くに生息するような田舎で貴重な体 験ができた。アフリカの子供たちとも触れ合うなど普通の旅行ではありえないであろうことができ、大変良かった。不便だと感じるものや不満が多くあるだろう が、そのような環境で生き生きとした人たちの表情をたくさん見られ、そういった現地の生活を少しでも見ることができ一生の思い出となった。

タイ研修報告

医学部2年  刀根 聡志

はじめに

 タイでの研修と聞いて、活動班にそんなのがあったのかと疑問に思っている人もいるかと思うので、まずタイで研修することになった経緯について述べておこ うと思う。

 今回、KEMRI班としてケニアに研修で滞在していた際に、ナイロビで開催されていた『寄生虫に関する国際シンポジウム』にたまたま自分たちも出席する ことができた。その際に、シンポジウムに出席していた慶応大学の竹内教授にタイのACIPAC(タイ・マヒドン大学熱帯医学部国際寄生虫対策アジアセン ター)の所長の小島先生を紹介していただき、自分たちが帰国の途中でタイに4日間ほど滞在するという話しをしていたら、ちょうどその期間に東海大学の学生 が自分の所に研修に来るから君たちも来たらいいよ、ということで急遽タイのACIPACを訪れてみることになった。


ACIPACについて

 1997年のデンバー・サミットにおいて、橋本総理(当時)が寄生虫対策の重要性および国際的な協力の必要性を提唱したのを受け、同年8月に国際寄生虫 対策検討会が設置され、寄生虫に関する世界の現状や日本の寄生虫制圧の経験を踏まえた国際的な寄生虫対策のあり方についての提言を含む「21世紀に向けて の国際寄生虫戦略」と題する報告書が作成された。1998年5月、バーミンガムサミットにおいて、橋本総理は、アジアとアフリカに「人造り」と「研究活 動」のための拠点をつくり、WHOおよびG8

 諸国とも協力して、このような拠点と周辺諸国とのネットワークを構築し、寄生虫対策の人材育成と情報交換等の促進を提案(『橋本イニシアチブ』)した。 そして、この『橋本イニシアチブ』の拠点となる施設としてアジアではタイ・マヒドン大学熱帯医学部が選定された。その後、関係者間において東南アジアでの 具体的な案件作成のための検討が重ねられ、1999年5月から7月まで企画調整員をタイおよびその周辺諸国(フィリピン、ラオス、カンボジア、ミャン マー、ベトナム、マレーシア)へ派遣した。その結果、マヒドン大学医学部でプロジェクト方式技術協力および第三国研修によりアジアにおける寄生虫対策のた めの拠点つくりの協力を行い、周辺諸国については、無償資金協力、個別専門家派遣、研修員の受け入れ等により協力を行うことが適当との提案がなされた。

 以上のような背景を踏まえて、タイ国政府から保健省との連携の下マヒドン大学医学部にACIPACが設立された。



活動報告

 ACIPACでは、スタッフの方に自分たちがどのようなことを行っているのかという話を聞く事が主な研修内容だったので、そのことについて紹介したいと 思う。

・東南アジアにおける寄生虫対策推進に向けての 人材育成プロジェクト

 これは、2000年3月23日から2005年3月22日の5年間の期間を通して、「学校保健を基盤としてマラリア・土壌伝播腸管寄生虫対策を推進できる ような人材の育成を目指す」ことを方針として、東南アジア各国における寄生虫対策推進に必要な人材を育成する為に、タイおよび周辺国(カンボジア、ラオ ス、ミャンマー、ベトナム)の寄生虫対策や学校保健関係者5名を対象にACIPACの研修施設でトレーニングを行い、参加者が研修を終えて帰国した後にそ れぞれの国内で『学校保健』を通じて寄生虫(ここでは主に土壌伝播腸管寄生虫とマラリア)のコントロールを実施していくことを支援していくためのプロジェ クトである。

 この『学校保健』を基盤としてマラリア・寄生虫対策を推進することを提案している理由は、なんといっても、かつての日本がそうであったように学童期の子 どもたちがもっとも多くの寄生虫に感染し、「虫だらけ(wormy)」となっているからだそうである。ひとりで7〜8種類の寄生虫を抱えている場合もあ り、身体的のみならず、子どもたちの知的発育に、これらの寄生虫の深刻な影響が及んでいる事実から『Save Wormy Schoolchirdren』をキャッチフレーズに活動が展開されているとのことである。

 この人材育成の為の研修は9月から約3ヶ月にわたって実施されるもので、具体的には、寄生虫対策、学校保健・公衆衛生、マラリア対策等についての授業お よび実習を受けるそうだ。下にその時間割の1例を紹介したいと思う。

Week 3
October
Monday 1
Tuesday 2
Wednesday 3
Thursday 4
9:00〜9:50
Global strategies control of STH
Soil-transmitted helminthes2
Other helminthic infections
Intestinal protozoa 1 Amoeba, Blastocystis
10:00〜10:50
How to use the microscope


Intestinal protozoa 2 intestinal flagellate, coccidia
11:00〜11:50

Clinical and treatment
Parasite population dynanic
Intestinal protozoa3 Treatment of Intestinal protozoa
13:00〜13:50
Soil-transmitted helminths 1

Soil contamination and parasite survival
Demonstration of intestinal protozoa
14:00〜14:50



Qualatative method for intestinal Parasites
15:00〜15:50

Curent drugs
Examination of helminthic Objects in the environment
Quantitative method

 

 上記のような時間割に沿って研修は進められていき、3ヶ月の研修期間を終えて各国から派遣された研修員は自国へと帰って行くわけだが、その際に問 題となっているのが、国に帰っても、研修を通して身につけた知識や技術を活かす職場やフィールドが自国にまだ十分に用意されていないということである。結 局、研修に参加して様々なことを身につけて帰ってもそれを活かすべきところがなく、せっかくのそれも宝の持ち腐れとなってしまっているところが少なからず あるわけである。

 こうした状況が生まれている原因として、各国の保健省(厚生省)等において寄生虫対策に重点をおこうという考えがまだ十分にないことや、この ACIPACの人材育成プロジェクトに対する十分な理解と協力がまだ得られていないことなどが挙げられる。こうした状況を改善しようと、各国政府等に対し もっとこのプロジェクトに対する理解を深めてもらって協力を得られるように、各国を訪問して話をするといった努力が現在なされているようである。

 しかし、このような問題点がとりだたされてはいるもののまだこのプロジェクトは動き出して1年半程しか経っていないわけで、こうした改善や努力が続けら れることで10年20年という長い期間でみたときには日本の寄生虫制圧に関するノウハウが東南アジアにおいて活かされそれが各国に浸透することでこのプロ ジェクトがうまくいけばいいな、というのが感想である。


 ・マラリア対策を軸としたPHC(プライマリーヘルスケア)

 これは、タイやその周辺諸国の村などにおいて住民参加で健康を自分たちで作り出す意識をもたせることによってその地域全体の健康レベルを上げようという ものである。どのようなことを行っているかというと、長袖の服を着る、蚊に刺されやすい夕方はなるべく外に出ない、寝るときに蚊帳を使う、などのマラリア 予防に対する基本的な知識を住民全体に持ってもらうことで、その地域に住んでいる人をマラリアの感染から守ろうというものである。ここで大事なことは、繰 り返しになるが住民参加というかたちでこれを行うということである。

 具体的にどのようなことが行われていたかというと、マラリア予防の有効な一つの手段として蚊帳の使用があげられるが、その中でも殺虫剤を含ませた蚊帳の 使用というものが有効らしくその使用をある村なり地域に普及させようとする際に、ただその蚊帳をこれがマラリアの予防にはいいですよと言ってそこに寄付し て終わるのではなく、住民にマラリアに関する紙芝居やビデオをみてもらった後グループに分かれてディスカッションをしてもらい、どういった症状がでたらマ ラリアに感染しているとか、感染したら自分たちでどういったことをすればいいのかといったことを話し合ってもらうわけである。こうした住民参加のかたちを とることで、マラリアに対する知識を地域住民にもたせ、蚊帳を普及するなどしてかれらを感染から守ることで最終的にはそこの健康レベルを上げようというも のである。

 この時、紙芝居やビデオが用いられている理由というのは言葉の問題(タイでは基本的にはタイ語が使用されているが、田舎のほうではまだその部族独自の言 語が残っているとのこと)を解消するために映像をとうしてメッセージを伝えるためである。当たり前のことかもしれないが特にこれは子供達に有効な方法だと のことだった。ただ、この際に調査員の方々が注意されていることがあり、それはこれまでテレビやビデオといったものが全くなかったところにいきなりそう いったものを持っていって映像をみせることで、その土地の風習や文化を乱す事になるのではないかという懸念から、そうした所ではテレビなどは用いず紙芝居 を使うなどそこの風習や慣習にあわせて自分たちの仕事を行うようにつとめているということである。

ACIPACの行っていることの一部として、上に挙げた二つの事を主に話していただいた。


総括

 今回のタイでの研修はKEMRI班の活動のおまけと言ってしまっては悪いが、ケニア滞在中に急遽決まったことだったため、出国前に何の下調べも事前学習 もなしにACIPACを訪れることになってしまった。正直、ACIPACが日本が世界に設けた3つの寄生虫コントロールセンターの1つ(残り2つのうち1 つは今回訪れたKEMRI、もう1つはガーナの野口医学研究所)だという程度のことしか行く前に自分は知らなかった。

 そうした状況での研修ではあったけれども、KEMRIでの研修も含めて今回自分が感じたことは、日本がかつて国中いたるところに数多く存在していた寄生 虫疾患を現在ではほとんど克服してしまったという事実から、その寄生虫のコントロールに対するノウハウを途上国に伝えることで援助を行っていこうという方 針を見ることができてよかったということである。というのも、日本の途上国に対する援助というとこれまでの自分のイメージでは、その土地にただ資金を投入 してダムや学校を建設したりするゼネコン的なものや、物品を寄付したりといったかたちのものであったため、このような人材育成や自分たちの持っているノウ ハウを伝えるといった形での援助は、あまり頭になくこういった援助のかたちもあるのだと体感できたからである。確かに、こちらのほうが長い目で見たとき に、将来日本などからの教育を受けた人たちが中心となって寄生虫コントロールを進めていけるようになるわけで、もう一歩進めて考えれば他国からの援助なし にその国の人たちが中心となってこうしたことをゆくゆくは進めていけるようになるわけである。そう考えると自分にはこのような援助を行うことが大変いいこ とのように思えたが、いいことばかりではなく問題点も少なからずあるようである。いずれにせよ、今度の研修を通して日本の途上国に対する医療援助のあり方 やその問題点について知ることができ有意義な経験ができたと思う。


[1] 『ODAの正しい見方』(著:草野厚 ちくま新書)によると東南アジアの開発計画であるコロンボ計画に日本は技術協力の形で参加している。
[2] 例えば日本政府が日本企業に東南アジアのインフラ整備を発注する方式。これに対して途上国政府が独自の裁量で地元企業に発注するものをアンタイド方式とい う。
[3] 土壌感染寄生虫
[4] Center of International Parasite Control


九大熱研HOME活動報告書2002年度ケニア班
Last modified on 2003/07/18
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