九大熱研HOME活動報告書2003年度インド班

インド班

活動目的

 インドのカルカッタにあるマザーテレサの『死を待つ人の家』では、キリスト教の精神を基盤とした、 日本からみると特殊な終末医療が行われている。そこでのボランティアを通してその精神に触れ、さらに終 末医療のあり方について考察を試みる。また、途上国の公衆衛生、医療について学ぶ。

班員構成

 刀根 聡志     班長  (九州大学医学部3年)
 平峯 智      副班長 (九州大学医学部3年)
 谷口 秀将         (九州大学医学部6年)
 ヤップ ユーウェン     (九州大学医学部4年)

研修地および活動日程

2003年8月8日〜8月13日、15日
    カルカッタ・『死を待つ人の家』
2003年8月14日
    チタガール・『ガンジー・プレム・ナイワス』(ハンセン病患者の自給自足施設)

活動概要

・ マザーテレサが設立した施設の一つである『死を待つ人の家』に収容されている患者への看護ボランティア
・ カルカッタ郊外のハンセン病施設の見学 死を待つ人の家(Nirmal Hriday)

1. 『死を待つ人の家』について

mother house: inside view通称カリガートと言われるこの施設は、路上などで死にかけている貧しい人達が安らかに死を迎えることができるようにということで、マザーテレサによって設立された施設である。中には、簡素なベッドがあるだけで初めて訪れた時は野戦病院のような印象を受けた。男性50人女性50人の計100人の患者が収容されており、男性と女性はそれぞれ別のフロア−に分けて収容されている。収容されている患者も様々で、瀕死の状態でベッドに横たわっている患者から食事やトイレ、入浴を自分で行えるような患者まで幅広かった。50年ほど前にここが設立された頃は、瀕死の状態の患者が大半を占めていて文字どおり『死を待つヒトの家』であったらしい。しかし、最近では状況も変わったようで、多くの患者が回復しているようである。

患者へのケアについてだが、これについては、男性患者は男性ボランティアが女性患者は女性ボランティアが世話をするようになっている。多くの国から多数のボランティアが参加しており、なかでも日本人が多かったように思う。ボランティアのなかには、もう何年もここでボランティアをしているという人も何人かいた。ただし、インド人のボランティアはほとんどいなかった。これは、カースト制度の残るインドでは仕方のないことかもしれない。カースト上位の人間が、カースト上ではヒトとして見てもらえないような最下層の人間の世話をすることなど考えられないからであろう。また、仮にボランティアをやりたくても、ハンセン病を患った人や最下層に位置する人は不浄なものとみなされているらしく、そういった人達に触れることを忌み嫌うカースト上の風習も原因となっていると聞いた。

ボランティアの仕事内容としては、洗濯、食事介助、食器洗い、入浴介助、トイレ介助、ベッドの消毒、着衣の交換、薬の配布などがある。また、医師やベテランボランティアが火傷や外傷のある患者の治療をする際、麻酔もなしに傷の縫合などを行うので、患者がうめき声をあげて暴れるのを抑えておくといったことも行った。仕事の時間は、午前中が8時から12時までで途中で30分ほどの休憩がある。この時、チャイやパンなどの軽食がボランティアのために用意されている。午後は3時から6時まで行われる。午前と午後の両方に参加する必要はなく、大半の人は午前のみの参加で午後は各自が思い思いに過ごしているようだ。また、日曜日と祝日にはここでミサが行われている。

2.患者について     

カーリガートに収容されている患者に多い疾患としては、結核、ハンセン病、肝炎などがあげられる。その他にも、マラリア、フィラリア、精神異常などの患者がいた。ここでは、専属の医師が治療をしているというわけではなく(ただし、週に2回ほどインド人の医師が回診に訪れている)、治療等はシスター、ボランティアでやってきている医師や看護師、ベテランのボランティアが行っており、そのサポートに各国からやってきた医学生や看護学生が付くといった感じであった。軽いケガの手当てで、消毒、ガーゼ交換といったことは自分たちでも実際にやらせてもらうことができた。また、ここに入っている人以外でも、手や足を怪我したといってやってくる人達にも治療を行っていた。ただ、こうした人達の中には、わざと自分の手足を傷つけてその痛々しい姿を人前に曝して物乞いをしていたところを、その傷のひどさを見かねたシスターやブラザーに連れられてここにきたという人もいた。

しかし、こういった人達に対して傷の手当てをしてそれでその傷が癒えたとしても、それまで、傷ついた自分の体を人前で曝すことでしか生きる糧を見出せなかった彼らが、それ以外に生きる糧を見出せるわけもなく、結局は、また自分の体を自分で傷つけて路上でその姿を曝して物乞いを続けるということが多いようだ。カースト制というものが残るインドという国の現状に目を向ければ、物乞いは物乞いでしか生きる糧を見出せないのかもしれない。そう考えるとこれも仕方のないことかと思ってしまったりもしたが、やはり、そうした実情に納得がいかないというのが正直な思いである。

3.シスターの話を聞いて 

現地において、マザーハウスで働いている日本人のシスターと話をする機会を得ることができた。そして、このシスターからいくつか貴重な話を聞くことができたのでそれについて触れたいと思う。

まず最初に、「シスターの方々が信心深いのはわかるのですが、どんなに信仰心があつくても、時には自分たちのやっている仕事に疑問がわいたりすることとかはないんですか?」という問いに対して、「ここにやってくる患者の人たちというのは、神がそのような貧しい人たちの姿をしてここにやってくるということに他ならないのです。つまり、私たちは神に対して世話をしているのです。だから、疑問に思うことなどありません。親が、子供の世話をしていて疑問に思ったりするでしょうか?しませんよね。それは、親が子供を本当に愛しているからです。同じように私たちも本当に神を愛しています。それと同じことですよ。」と、このようにおっしゃっていた。確かに、自分はまだ子を持つ親ではないから実際には分からないが、親というものは自分の子供に対してできるだけのことをしてあげたい、さらに、もっと良いことをしてあげたいと、いつでも願っているものであろう。そう考えると献身的に愛情を持って患者に接するシスターの方々が、何の疑問もためらいもなくこのしごとをやっているのだなと理解できた。 

次に、「カーリガートもそうですが、マザーテレサの施設では壁など多くのところに『Pray』という単語を見かけますが、この日本語で言うところの『祈り、または祈る』とはどういうことなのでしょうか?」という質問をしてみた。これには、次のようにおっしゃっていた。「まず、私たちは、祈ることで精神的な活力を得ています。だから、祈るということをしないと精神的な活力が得られないから、そうならないためにも毎朝行われるミサというものが、絶対不可欠なのです。それから、祈ることで『信仰』が生まれます。そして、この『信仰』からさらには『愛』が生まれ、『愛』から『奉仕』、『奉仕』から『平和』が生まれるのです。つまり、『祈り』というものは『平和』へとつながっているのです。そして、この『平和』こそが貧しい人達に救いをもたらしてくれるのです。だから、私たちは『祈る』のです。」この言葉を聞いて、ふだん神の存在など意識しない自分にとって『祈り』や『信仰』といったものの本当の意味は、この時分からなかったし、今でも正直分からない。しかし、この『祈り』、『信仰』、『愛』、『奉仕』、『平和』というこの5つの言葉にはとても深い意味があると思う。これらの言葉の意味の深さについて、これからもじっくり考えてみたいと思う。

4.まとめ

今回の活動を通して、いろいろと考えさせられることが多かった。日本のように、なんとなく全体が同質の社会に生まれ育った自分には、物乞いなどインドのカーストに基づいた身分制において最下層に位置されている人達の姿というものが、今でも強烈に脳裏に焼きついている。路上での生活を余儀なくされ、まともに働くことも認められていないから、道行く人々にお金や食べ物を求めて日々食いつないでいる物乞い達をいたるところで数多く見た。そして、そんな彼らが病気などで路上に倒れていても、カーストが低いという理由などから見過ごされている現状に、インドの人達にはそれが当たり前のことと映っていても、自分には異様な光景として映った。あれだけ多くの貧しく苦しんでいる人を目の当たりにして暮らしていると、インドではもう当たり前のこととして捉えられているのかもしれないし、助けようと思っていたとしてもカースト上の理由からそういうことができないのかもしれない。

しかし、このように当たり前のことだとか、カーストの弊害があるからしょうがないという理由だけで、この現状をとらえることはできないと思う。そして、インドだけに限らずこのような状況を変えていくにはどうしたらよいのだろうかと考えた時、それは、マザーテレサが言っていたように、自分の周りに困っている人がいれば、無関心にその人を見過ごすのではなく、まず、その人に関心を持ち、そしてその人に手を差し出してあげるということが一つあるのではないだろうか。

今回訪れた『死を待つ人の家』にも、ここに来るまでは誰にも関心を持ってもらえなかったというような人達ばかりがいた。彼らはここで、簡単な治療を受けたり、3度の食事を与えられたり、その他にもいろいろと恩恵を受けることができる。しかし、彼らがここに来て最も幸せだと感じることは何かと考えた時に、それは何よりもまず、今まで誰にも見向きもされなかった自分のことを、ここではシスターをはじめ多くのボランティアの人達が、関心を持って接してくれるということであろう。1週間のここでの活動を通じて自分にはそのように思えた。

この世でもっとも不幸なこととは、誰にも関心を持たれずに生きていくことだと、マザーテレサも、そしてシスターたちも繰り返し言っていた。というのも、相手に対して関心があるからこそ、『愛情』や『思いやり』といった感情が生まれてくるわけで、関心がなければそういった感情も当然生まれてこない。つまり、関心を持たれないまま生きていくことは、『愛情』を感じないまま生きていくことに等しいのだから、これ以上に不幸なことは無い。だからこそ、苦しんでいる人に関心を持ち、惜しみない愛情をもって接することで多くの人が救われるのだというのである。

とはいえ、マザーテレサのように自分の周囲の苦しんでいる人すべてに、平等に惜しみない愛情を持って接することは、誰もがそう簡単にできることではないだろう。しかし、自分の周囲の苦しんでいる人に関心をもつことくらいはできるはずだ。関心を持てば、何か助けになることでもしてあげようかという気にもなるかもしれない。ただし、逆に関心を持たなければ、助けてあげようなどという考えは起こりようがないわけである。だからこそ、なによりもまず関心を持つということが大事なのである。今回の研修を通してこのことを一番強く感じた。また、将来、病気で苦しんでいる人を診る医師という職業に就く自分たちにとって、目の前にいる患者に対して関心を持ち親身になって(愛情を持って)接するということが、医学の知識や腕を磨く事よりも大事なはずである。こうしたことを考える機会を得られただけでも今回の研修は有意義だったと思う。

最後に、今回の研修を行う上で勉強会やアドバイスなどしていただいた石川先輩に感謝の意を表したいと思う。

ガンジー・プレム・ナイワス(Gandiji Prem Nivas)

Nirmal Hridayの仕事が終わったあと、カルカッタの最終日に運よくハンセン病の施設の見学ができた。施設の見学は本来なら2週間に一回しか開催されていないがカルカッタで知り合った自称MOCの関係者が施設まで案内してくれた。

MOC(Missionary of Charity)に所属しているこのハンセン病センターはGandiji Prem Nivas(Titigarh Leprosy Center)と呼ばれ、カルカッタから電車で約30分離れた市外のTitigarhというところにある。Prem Nivasは線路の両側にあるため、電車がTitigarh駅に到着する前に施設が電車から眺められる。Prem NivasはMother Teresaによって1958年に設立された。最初は建物もなく、木の下で移動式の簡易のクリニックに過ぎなかった。1960年10月18日にTitigarhの市政府は施設の建物を建てるためにTitigarh-Khardah線の沿線にある10kmも及ぶ細長い土地をMOCに提供した。当時はハンセン病という病が簡単に治療できるにもかかわらず、インドでもハンセン病の患者はやはり社会に受け入れてもらえず日々差別と戦っていた。Brotherの話によると、差別のみならず、当時の患者は回りの人からいじめられたり石を投げられたりした。

現在、Prem Nivasでは約1000人が暮らしている。その中で、約750人は元ハンセン病患者であり、完治してから施設内の各部門で働いている。残りの人たちはまだ治療を受けている患者である。スタッフはほかの施設と違ってSisterよりもBrotherの方が多い。Brother の話によるとTitigarhのあたりの治安があまりよくないため、施設の運営はBrother達に任せられた。

Prem Nivasは線路の両側にあるため施設が2つの部分に分かれている。片方は事務棟、外来クリニック、手術室、recovery room、薬剤室、簡単な実験室がある。私たちはまず事務室でBrotherの説明を受けて、その後施設内の各部門を案内してもらった。薬剤室でハンセン病の薬を見せてもらった。Prem Nivasはbasic medical careしか行わないNirmal Hridayと違って、ちゃんとした治療を行っている。使用している薬もWHOのガイドラインに従っているらしい。薬は施設に入院している患者はもちろん、施設に登録している(登録者は3万5千人もいるらしい)外来患者にも定期的に配布している。外来クリニックはセンターから独立した患者のケアやフォローアップも行っている。ボランティアの外科医は必要に応じて施設で手術することもある。主に実施される手術は四肢の切断、整形外科の矯正手術、ヘルニアなどである。手術室の隣部屋はrecovery roomであり、術後管理や患者の回復のために使われる。手術室の中は見せてもらえなかったが、recovery roomの中に二つの病床が置いてあり、医療道具もそろっている。

線路を挟んで反対側にあるのは病棟、工場、ナーサリ(学校)、食堂など患者たちが生活している場である。病棟は男女別に分かれていて、見学者がきたと知ってベッドから起き、「ナマステー」と挨拶してくれたり、笑顔を見せてくれたりした患者は多かった。病棟の裏には、ドレシングが行われる部屋がある。そこで、スタッフが患者さんの傷口を消毒したり、包帯を替えたりする。一方、女性病棟では一人の看護婦が常駐して患者の世話をしている。

Prem Nivasのもっとも大きな特徴は自給自足ということである。ここでハンセン病から治った元患者たちはそれぞれの能力に応じて、畑の仕事や糸紡ぎ、家畜や魚の飼育、食事の準備、施設運営の手伝いなどに携わり、充実した生活を送っている。ここで生産されたサリーやルンギ、ベットシーツ、タオル、包帯などは外に売ることなく、すべてはMOCの施設で使われる。Mother Teresaが着ていたあの白いサリーもここで作られたものである。ここでとれた野菜や魚そして家畜もやはり外に売らず、Prem Nivasで使われたり他のMOCの施設に提供されたりする。また、ハンセン病で手足を失った患者のために義肢の生産もここで作られている。義肢を仕上げるためにやはり熟練した腕が必要である。そこでNational Institute for the orthopaedically handicappedから技術的なサポートを受けている。義肢はもちろんそれを必要とした患者に無料で提供されている。また、大工部門は家具のメンテナンスを行い、松葉杖の生産もしている。裁縫部門は患者の子供たちが将来独立してからもその技で生活していけるために裁縫術を教える。患者や元患者の10歳以下の子供たちは施設内の学校で基礎教育を受けられる。その後、彼らはMOCの援助で外の全寮制学校に進学する。学校は一軒の教室と遊び部屋(ナーサリ)からなる。先生も元患者であり、優しそうな方だった。子供たちは我々のために笑顔満面でダンスや歌を披露してくれた。

Prem Nivasがハンセン病患者の世話をするのは病気が治った時点に終わるのではない。完治して施設から出た患者たちが少しでも普通の生活が送れるように、施設の近くで小さな家を建ててあげたり、食材や薬を提供したりする。面白いことに、Prem Nivasは患者同士の結婚もアレンジし、結婚式まで挙げてあげるらしい。

以上のことから、Prem Nivasがハンセン病患者のために何がしたいかは少しでもお分かりになっただろう。Mother TeresaがPrem Nivasを立ち上げる前に、ハンセン病患者は治療も受けられず、社会から差別されていた。そのために仕事も見つからず、日々自分の病気に対して消極的な態度を持ち、死ぬことしか考えていなかった。周りの人たちが受け入れてくれなかったら、自分たちで何とか生きていけないかという考え方でこの施設が始まった。また、自給自足のシステムは運営コストを抑えることはもちろん、元患者たちにも仕事を与えて、病気や体の不自由の悩みから解放され充実な生活を送らせることは一番大きなメリットではないかと私は思う。

半日ぐらいの見学でPrem Nivasは私にすごくうまく運営されている施設という印象を与えた。Nirmal Hridayと違って、この施設の運営はより系統的であり、自分の想像以上に設備が整っており、清潔だった。また何よりもよかったのは患者さんたちが自分の人生を諦めずにここで静かに充実した生活ができること。また子供たちの笑顔も印象的だった。

Prem NivasとNirmal Hridayの間でいくつかの相違点が見られる。まず、Nirmal Hridayでは本当に最低限の医療(ドレッシングや消毒)し行われていないことに対して、Prem Nivasでは本格的な治療を行っている。使用される薬もWHOの勧告に従っているし、患者のフォローアップなどもしている。また自給自足も大きな特徴のひとつであり、残りの運営資金はMOCからもらっている。患者に関してもよく観察するとPrem Nivasの患者達の方がより感謝の気持ちを持っていると思う。

今回の活動で自分が考えたことと反省点はいくつかある。まず、自分の知識の不足を反省したい。Nirmal Hridayでドレシングなどの手伝いをしていたが、医学生とはいえ、うまくできないことがたくさんあった。また、残念ながら、Nirmal Hridayで患者とのコミュニケーションがほとんど取れなかった。少しでも現地の言葉を勉強していくべきだったと思う。しかし、医学部に入ってから4年目で今回の活動を通じて初めて患者と接触し彼たちの世話をする大変良い経験と勉強ができたと思う。またPrem NivasやNirmal Hridayの患者達は一緒懸命生きていくことにも感動した。ボランティアたちはやはりキリスト教の人が多かったが、仏教など他の主教の人たちもいた。おそらくボランテアたちは宗教や信仰というよりも、Humanityを信じているのだろう。

「あなたはまたインドに戻ってくるか」と何人かに聞かれた。私の答えはNoが80%でYesが20%である。インドが嫌いなわけでもないし、苦しんでいる人を助ける気持ちがないわけでもない。Mother Teresaはこのような言葉を残した。Charity begins at home。Love begins at home.苦しんでいる人を助けたい気持ちは皆さんにあると思う。しかし、そうするために遥々カルカッタにあるMOCの施設でボランティアするよりもまず自分の国、自分の地元から始めるべきだ。いくら豊かな国といっても苦しんでいる人、困っている人、見捨てられた人はいるはずだ。まず彼らを助けるべきだ。それはMother Teresaが私たちにしてほしいことだ。インドでは苦しんでいて助けが必要な人数はあまりにも多くて、10人のMother Teresaがいても恐らくその援助は全員に行き届かない。しかしMother Teresaはこう言った。We cannot do great things, but we can do small things with great love.つまり、大事なことは自分がどれぐらいの人を助けられるかということではなく、助ける人のその一人一人にどれぐらいの愛情を注ぐかということ。これから医者になり苦しんでいる人たちを助ける我々医学生もその言葉を参考にしていいと思う。我々はgreat things(名医や偉大な研究者になることなど)を目指すよりも、我々のところに来た患者一人一人に対して愛情のこもった治療およびケアを施すべきだ。医者の能力には限界があるが、愛情には決して限界はない。

最後に、今回の活動を成功させた先生方、先輩や後輩達にお礼を申し上げたい。ただの見学ではなく、実際に働いて体で感じることができて大変良い経験と勉強になった。医学の勉強にはならないかもしれないがそこで働くことを通じて大学で決して経験できない患者のケアや看護を経験することができるので、特に後輩達にお勧めしたい。未熟な私はまだたくさん理解できないことや疑問をもっている。これからも、以下のMother Teresaの言葉の意味を探索しながら、今回のインドの経験を生かしていきたいと思う。

If we pray, we will believe,
If we believe, we will love,
If we believe , we will serve.


九大熱研HOME活動報告書2003年度インド班
Last modified on 2004/02/21
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