九大熱研HOME活動報告書2003年度ルーマニア班

ルーマニア班

活動目的

ルーマニアのエイズと子供を巡る問題点について、実際にエイズ患者や子供と直接触れ合うことによって理解を深める。エイズがルーマニアにもたらされている社会的・経済的影響を知り、更にエイズ対策が困難とされている現状や実際を考察する。また、日本人にとって馴染みの少ないルーマニアという国はどんな国であるのかを見てみたい。

班員構成

チョン ピン フィー (九州大学医学部 4年)

研修期間および研修地

 2003年7月26日〜8月3日  ティミソアラ大学のVictor Babes 感染症病院
 2003年8月4日〜8月15日  Louis Turcanu小児病院
 その他:ティミソアラ市内の子供療養所(孤児院)二ヶ所

ルーマニア国の概略

ローマ人の末裔・ルーマニア人

ルーマニアはバルカン半島の北東部にあり、中欧・東欧で唯一のラテン文化である。国土は東欧の国々とほぼ似たような大きさだが、国土の周囲の半分は旧ソ連(今はモールドヴァ、ウクライナ)に接している。そしてハンガリー、旧ユーゴスラビア(今はセルビア)、ブルガリアなどに囲まれており、ブルガリアとの国境を流れるドナウ川が注ぎ込む黒海に面している。

山地と平野と丘陵が平均してあるのがルーマニア人の自慢になっているが、ガス田があり、油田もあり、肥沃な土地で、農業、牧畜に適し、非常に恵まれた土地なのである。それだけに長い歴史のなかで何回も周囲の国々から侵略をうけ、その結果ルーマニアには色々な民族が入り雑じってすむようになったわけである。

ルーマニア人の起源は、ダキア人(Dacia)またはトラキア人であると言われている。紀元1世紀にダキア人の王が、現在のルーマニアの領土を支配した。そしてこの古代ダキアは、紀元106年トラヤヌス帝によって征服された。ローマ帝国は、271年には撤退するものの、約3世紀にわたるダキア人とローマ人の混在、混血の結果、ローマの公用語であったラテン語を用いるルーマニア民族が次第に形成されていったのである。

紛争の拠点

4世紀から7世紀ごろまでは、フン族、ゴート族、スラブ族、など多くの異民族が侵入したが、7世紀から10世紀の間には、ルーマニア語が発達し、10世紀以降には農業を主体とした村落中心の封建国家が次第に成立していった。13世紀末から14世紀には、ワラキア(Wallachia)、モルドヴァ(Moldavia)の両公国が建国されたが、15世紀末にはオスマン・トルコ(Ottoman Turks)の宗主権下に入った。途中ワラキア公であったミハイ勇敢公がトランシルバニア(Transylvania)を含む3国を短期統一したが、その後2公国が1878年まで再びトルコの統治下に入った。

1821年独立国家への道を目指しオルテアから火の手があがったワラキア、モルドヴァ両公国の革命は、失敗に終わった。1848年には、トランジルヴァニアを含む3国が革命を起こしたが、鎮圧された。その後、両公国の統一のみが認められ、モルドヴァ公クーザーが統一ルーマニア公国の君主となった。しかし、クーザー公の退位後に、ドイツ出身のカロル1世(King Carol?)が君主となった。トランシルヴァニアがルーマニアに併合されたのは1918年。第1次世界大戦後のことである。

共産主義の始終

ところが、1940年には、ソ連がベッサラビア地方を占領した。翌年には、ナチス・ドイツの圧力により、ルーマニアは第2次世界大戦に参加。1965年には、チャウシェスクが党の第1書記に就任した。後に大統領制をとり、自ら大統領に就任し、奥さんも副大統領に就任した。この権力体制の中でチャウシェスクはポロレタリアート独裁からさらに恐怖政治へ突き進んでしまったのである。農民のための、労働者のための共産主義が、なぜ彼らを搾取し苦しめる結果となったのか、そして、かつ謙虚で国民のためを思う指導者であったチャウシェスクがなぜ豹変していったのか。国民の脅える独裁政治になり、国民の生活は忍耐の限度を超えていた。戦争の最中でもないのに、人間として生きる上での最低のレベル、空腹を満たすことすらできていなかった。その上電気もガスも僅かな時間しか与えられず、ガソリンも配給で、テレビも新聞もチャウシェスク大統領の宣伝ばかりであった。

つい、彼の独裁政治は国民の不満を買い、1989年12月、チャウシェスク政権打倒を目指して改革が行われました。長い間敷かれてきた社会主義体制から離脱したルーマニアは、共和制の国に生まれ変わりました。旧共産党体質の流れをくむ政党はいまだ残っているが、単一政党制廃止、三権分立を打ち立てた救国戦線によって、チャウシェスク独裁政権は、1989年に倒れた。これによって、国会には2人の議長と多党政が発達し、1991年12月には、新しい憲法が承認された。その中には、ルーマニアは資本主義経済に基づく、言論、宗教、所有の自由がある共和国であると記載されている。モザイク状の民族

ルーマニアの住民の多くはルーマニア人だが、ハンガリー人をはじめ、ドイツ人(オーストリア人)、ユダヤ人、ブルガリア人、トルコ人、スラブ人それにジプシー(ロマ)などが住んでいて、その彼らがみんなそれぞれ自国の言葉を使っているのが珍しい。日本の本州と同じくらいの面積を持つルーマニアに、いまハンガリー人、ドイツ人、ウクライナ人、ジプシーなどモザイク状に分布、生活しているが、彼らは何世紀も前からいつとはなく南下、移住してきたもの。それがまだに祖国の言葉を話し、文化を守り続けているのである。しかし、彼らの今の国籍は紛れもなくルーマニアなのである。

もう一つの問題〜ジプシー(ロマ)

ヨーロッパを中心として世界各地に散在する少数民族。サンスクリット語に似たロマニー語を話し、自らをロマ〔=「人間」の意〕と称する。インド西北部を出たのち定住しなかったことから「流浪の民」と言われ、移動を基本的な生活用式とし、国境の枠組みに無関係に活動し、現在でもバルカン全域に広く生活を営んでいる。なかでもルーマニアは、ジプシーの人口が多いことで知られる。ナチスによる迫害を例に挙げるまでもなく、ジプシーはヨーロッパの歴史の中でしばしば差別されてきて、各地で差別と迫害を受けた。

私が街を歩いている時も、ルーマニア人と全く異なる風体をしたジプシーに物乞いをされることがしばしばあった。物乞いをするのは無邪気な子供であり、彼らは時にシンナーを吸いながらどこまでも付いてきて、お金をもらえないと泣きじゃくる。私はお金をあげるべきではないと思うから、持っているパンやスナックを彼らに渡した。ルーマニアはヨーロッパの社会から、ジプシーの福祉などに努力していないとよく指摘されている。ルーマニア人にジプシーのことを聞いてみると、「彼らは全くルーマニアの生活や慣習に溶け込もうとしない。ルーマニア人の生活用式を学ぶ気がなく、ジプシーだけで閉鎖的な生活サークルを作り、都市に定住できないのだから、当然仕事にも就けない。いきおい路上での物乞いや窃盗に頼る場合が多くなる。ルーマニアのジプシーは国境を越えて他国に移動し、そこでも犯罪を起こすためにルーマニアの評判は悪くなっている...」という返事が多かった。その一方で、ジプシーが歌謡や舞踏に素晴らしい才能を示し、独自の文化を持った誇らしい民族であり、彼らに対する一方的な排斥があまり良くないものと思っている。しかしそれを我々外国人が口にすることには、非常に微妙な問題であるのだ。

活動概略

SCORAというのはStanding Committee on Reproductive Health including AIDS (性と生殖に関する健康とエイズの常設委員会)であり、IFMSA(International Federation of Medical Students' Associations)に所属する六つの常設委員会の一つである。1992年に、エイズ患者の一方的増加をきっかけにして、HIVとSTDの予防のためのプログラムを作成するために医学生がこのSCORAを生み出した。その他に、HIV/AIDS患者の心理社会的な支援をする様々な活動も図っている。エイズを予防する唯一の手段として教育が常に強調されている。

私は今回参加させていただいたのはティミソアラ医学生会(SSMT)が主催したSCORA交換プログラムである。ティミソアラというのは首都のブカレストより西に位置し、首都から電車で九時間かかる。ハンガリーとセルビアに近く、もっとも西洋的な都市であり、多くの異なる教会やバロック式の広場や公園などで有名である。更に、ティミソアラには民族の多様性が見られ、ルーマニア人(70%)を始め、ドイツ人、ハンガリー人、セルビア人、スロバキア人およびユダヤ人のコミュニティーがある。また、他の東欧地区と比べ、各民族は比較的仲良く共存している。

このSCORA交換プログラムは医学生に理論的知識および実際の実習を提供することによって、HIV/AIDSに関する理解を深めることを目的としている。実際に講義形式だけではなくHIVに感染した子供と接触することで、よりエイズに対する理解をいっそう深めようというのが目的らしいである。今回の研修先として‘Victor Babes’病院の感染症部と‘Louis Turcanu’小児病院という二つの病院に受け入れていただいた。午前中は土日を除いて毎日病院へ実習しに行く。担当の先生とHIV/AIDSのウイルス学的問題や臨床的問題や社会的問題など、あらゆる分野の基礎知識と問題点について話し合ったり、子供のエイズ患者と接触し遊んだりすることで、ルーマニアにおけるエイズの現状を肌で感じる。また、現場の医師とソーシャルワーカーの話を聞いて、エイズがもたらされる社会的インパクトの大きさに驚かされ、新たにエイズに対し再認識した。夕方は主催側が計画したソーシャルプログラムが毎日あった。つまりそれは、遊びの部分である。言い換えれば、パーティーと遊びを通じてルーマニア人と仲良くなり、ルーマニアの社会をより理解する。ほとんどパーティーの毎晩を言っても良かろう。その他に、三週間のうちに一日の日帰り旅行と三泊四日のブカレストー−シナイア−ブラソー−シギソアラという列車による遠征旅行があった。

また、孤児院プログラムはちょうど同じ期間で開催されていた。暇なとき、孤児院プログラムの方にも顔を出して手伝うことになった。孤児院プログラムは主に、施設の子供たちの遊び相手と世話をする。Casa Faenzaというイタリアの地方政府の支援を受けている子供の自閉症センターを見学することもできた。

個人的に今回の参加した様々な活動を振り返ってみれば、「子供」という大きなテーマが感じ、「子供」という印象を強く受けた。

ルーマニアの特有のエイズ事情

ルーマニアの政府が発表したHIV患者およびエイズ患者の数字をみると、いくつかの特徴が見られる。以下はエイズの統計の表しか添付していないが、HIVにも同じ傾向が見られる。以下の統計はあまり正確でない点が含まれる(制度の問題)が、大体の印象としては問題ない程度である。ルーマニアでは小児というのは14歳以下と定義されている。つまり、15歳からは大人として取り扱われる。

 
Total Cumulative of AIDS cases ('90-Mar '03)
Age of Diagnosis
Male
Female
Total
< 1
483
354
834
1 - 4
1545
1040
2585
5 - 9
1384
989
2373
10 - 12
380
282
662
13 - 14
55
36
91
15 - 19
94
89
183
20 - 24
67
120
187
25 - 29
134
162
296
30 - 34
156
122
278
35 - 39
112
95
207
40 - 49
165
89
254
50 - 59
72
34
106
> 60
20
16
36
TOTAL
4667
3428
8095


Children AIDS cases (≦14歳): Mode of Transmission
Risk factors
Male
Female
Total
Percentage (%)
1. Mother risk factors
  intravenous drug
0
1
1
4.65
  heterosexual
118
72
190
  others
73
40
113
2. Hemophilia/coagulopathy
5
8
13
0.2
3. Transfusion (blood)
897
615
1512
23.15
4. Nosocomial
2443
1715
4158
63.66
5. Unknown
303
242
545
8.34
Total
3839
2693
6532
100

Adult AIDS cases (>14歳): Mode of Transmission
Risk factors Male Female Total Percentage (%)
Homosexual 62 0 62 3.97
Intravenous drug 2 1 3 0.19
Hemophilia/coagulopathy 16 9 25 1.6
Transfusion (blood) 71 113 184 11.77
Heterosexual 530 468 998 63.85
Others/unknown 147 144 291 18.62
Total 828 735 1563 100

Cumulative of AIDS Patients (1990 - March 2003)
Child (1-14)
Adult (>14)
Dead
Alive
?
Dead
Alive
?
2935
3540
57
538
966
59
Subtotal
6532
1563
Total
8095

ここでは疫学的に面白い点は幾つも観察される。子供のエイズ患者/HIV感染者は成人に比べると、全患者/感染者の八割くらいを占めるため、はるかに多い。しかも、ここに表示していないが、細かく分析したら、感染した子供のほとんどは89・90・91年に生まれたことが分かる。これは現地で俗に「89年世代」と呼ばれている。更に、成人は性行為による感染がメインであるのに対して、小児はnosocomial(院内感染)というルートが重要である。すなわち、アフリカ大陸で重視されている垂直感染ではないため、患者の親を血液検査してもウイルスが検出されるはずがない。

なぜこんな現象が起こるのか、まだよく分からない。しかし、幾つかの仮説が立てられる。その一つは子供病院(産科、新生児科)における子供処置の過失による。というのは、非消毒した注射針が回して使用されていたことである。根拠として、一部のエイズ子供患者は孤児院やジストロフィーセンターなどの特別療養施設にいたことが分かった。ところが、非消毒注射針だったら、前からあったことなのに、なぜ急に89年あたりから感染が起こり始めたのかということの説明になっていない。さらに、原因が汚染された注射針なら、成人も大体同じ確率で感染されるはず。なので、この仮説は成り立たないと思われる。また、血液製剤による感染だと考えている専門家もいる。特に、89年の改革後の医療支援として入ってきた血液製剤がもっとも疑われる。上記と同じ理屈で血液製剤ならば、大人も同じ危険に晒されているが、実際には成人における血液製剤による感染例は低いため、真の理由として考えがたい。

現在、もっとも信じられている原因は、小児の予防接種のワクチンである。なぜかというと、他の年齢層に低く、小児が主に感染していることは、小児にしかない特異的なイベントによって感染したからである。考えられるのはワクチン接種、特にポリオ接種である。実は、エイズ学者の間にはポリオワクチンが人為的にエイズ被害を拡大させたのだと信じている人もいる。だが、証明できる証拠がいまだにない。というのも、89年あたりの余ったワクチンも既に回収されてしまったため、もう打つ手がない。その他、この仮説には別の問題点がある。ポリオワクチンは主に、サルの腎臓細胞から作られていた。ルーマニアにはサルがいないため、殆どのワクチンは他のヨーロッパ国から輸入される。そのため、他の国においてルーマニアみたいなエイズ事情があっても不思議ではないので、少しこの推理は説得力が不十分ではないかと思われる。因みに、この全てが一つの実験であると思っている人も少なからずいる。

ルーマニアにおけるAIDS対策の諸問題点

文化、言葉に違いがあるように、各国はエイズに対してそれぞれ異なる問題点を抱えていると思われる。その異なる問題点はなぜ生じるのかというと、主に社会的特長にあると考えられる。つまり、社会的構造をはじめ、民族の教育水準(考え方)や経済的能力や官僚の態度と初期にとった対策などが世界各国のエイズ問題点の多様化をもたらしているだろう。そのため、いわゆる「時と場合による」、エイズに対する対策は世界各地統一するものがないのは言うまでもない。ルーマニアに実際に行ってみて、以下のルーマニアに特有の問題点が観察できた。

まず、患者側の問題点が挙げられる。エイズと診断された患者は無料で治療が受けられ、ただの薬(抗ウイルス剤)がもらえる。しかし、毎月病院へ検診を受け一か月分の薬をもらいに行かなければならない。ルーマニア政府はせっかく財政的にエイズ患者を支援するにもかかわらず、エイズ患者はいろいろな理由で病院へ行きたがらない。そのうちでは、病院が遠いとか子供が元気そうだから連れて行きたくないといった言い訳が多かった。

その他に、せっかく薬をもらったのに薬の飲み方が分からないため、正しく薬を飲んでいないケースも多い。HIVというのは自己複製の過程中、突然変異を起こしやすいウイルスである。抗HIV剤を飲み忘れ、決まった内服スケジュールに従って飲まないなど、抗ウイルス効果を持続することが困難である。医師の説明の不十分さもあると考えられるが、無知のため、複雑な多剤療法を内服間隔や量的に正しく飲まなくても良いという患者側の態度に問題点があると思われる。以上の原因で処方された多剤療法にすぐ耐性ができてしまう。そうなったら、新しい処方箋に変えざるを得なくなる。総じて、エイズに対する正しい知識を持っていない人が多いのが現状である。多分、学校で性教育がいまだに実施されていないことが原因であろう。AIDSの正しい知識やどうやってSTD(性行為感染症)から身を守るかなどをしっかりリスクが高い集団に教えていない。

また、積極的な対策を立て切れない行政にもエイズ問題点の悪化や拡大に責任があると思う。最も重要なのは、有効なサーベイランスとモニタリング制度ができていないことである。WHOによると、サーベイランスとは有効な対策を樹立するために、感染の分布と蔓延ならびにそれに関与する諸要因を十分の正確さと完全さを持って継続的に精査し、かつ監視することである。実習した病院の先生の話により、自分が厚生省に届け出た症例が国家の報告書の統計にのっていないなどということがよくあるそうである。このため、有効に情報を収集・分析することができず、地域と時間的推移や場合によっては緊急処置の採用がずいぶん遅れてしまう。また、煩雑でややこしいお役所風態度はエイズ問題の解決に負担をかける。要するに、新しい薬での治療の開始や薬の変更などは全てブカレスト本部に申請し、許可が得られないと勝手にやってはいけない。書類の検査から薬の運搬までしばしば何週間も要することもある。薬の到来を待つ間に、体内ウイルス量が異常に上昇してしまうケースがある。今対策として、NGO団体と他の子供の余った薬を先に使ってしまうというようなことをしている。

さらに、財政的、技術的要因も行政側のエイズと対抗する努力・意思に影響を及ぼす。有効な薬物療法の選択は患者のCD4+数とウイルス量(HIV-RNA量)の測定が重要である。しかし、全国ではHIV-RNA量が測れるのはブカレストしかない。しかも、冷蔵整備が整っていないため、輸送の問題もある。したがって、ブカレスト以外ではHIV-RNA量を測定しないことが殆どである。近年日本で行われるようになった薬剤耐性検査はもちろん財政面と技術面でされていない。その上、東欧で二番目に貧しい国でもあるので、ついついお金がかかるエイズ対策は遅れてしまう。

一方、エイズによってもたらされる巨大な社会的インパクトも無視できない。正しい知識を持つ人さえエイズ患者に対し偏見を持つなら、エイズに関する知識の乏しいルーマニアではもっと大変だろう。実際、エイズ患者に対する社会的偏見はあまりにも大きい。歯が痛くても、歯医者に見てもらえない。田舎だったら、病気になっても医者にさえ助けてもらえない。もっと深刻なのは、子供のエイズ患者は学校へ行けなくて教育が受けられないことである。普通に接触するだけでは病気がうつらないと分かっていても、自分の子供がエイズ患者と一緒にいるということは心配で嫌だというのがほとんどの反応である。言うまでもなく、教育を受けたことがない人は大きくなって社会に出た時どうやって生きていけば良いのか、本当に見当がつかない。おそらく、新しい社会的問題の根源になると思われる。

だったら、自分はエイズに罹っていると言わなければ良かろう。確かに、告知を受けていない子供もいる。なぜかというと、親は知らせたくないからである。「肝臓や胃が悪いから、毎日薬を飲まなくちゃ」といういい加減な理由で薬を飲ませている。当然、子供は自分がエイズということを知らないはず。89年世代の子は今15歳前後でいて、ちょうど性行為を始める年齢である。むろん、エイズ患者数の上昇およびエイズ問題の更なる拡大と深刻化は時間的な問題である。ソーシャルワーカーの話によると、本当に手も足も出ない状況になっているそうである。というのは、いちいち性パートナーを追跡し、HIV検査を強制することは不可能だからである。

失われた将来

ティミソアラではエイズプログラムの他に、孤児院プログラムがある。孤児院プログラムは毎年二回に分けて、両方とも夏休み期間中三週間ずつ行われている。ちょうど孤児院プログラム第二ローテーションの開催期間は自分のと重なっているから、そちらの活動も偶に参加させていただくことになった。フランス、オランダ、スペインとアメリカの医学生四人がボランティアとして参加していた。

ルーマニアは長い年月共産主義の独裁政治によって荒らされて、遍在の貧困および失業の問題に直面し、社会保障を確保するシステムが欠けている。米国の中央情報局(CIA)の2002年度報告によると、人口の45%が最低の貧困生活を送り、失業率が9.1%であり、そして2001年度のインフレ率は34.5%だそうである。実際に現地の人に聞いたら、一般人の月給は大体85ドルだけで、自分も足りないので、家族を養うのはとても大変なことである。さらに、チャウシェスクの時代に、ルーマニア人を増やすため子供をたくさん産むように激励した。結局、特に革命後において財政困難などの理由を含めて、多くの子供が宿無しになり、街で生活するようになった。

今回は二軒の孤児院に行った。中央孤児院では比較的小さい子供(まだ歩けなく喋れない子供が多い)を収容するに対して、もう一つは5、6歳児が多く比較的年齢が大きい孤児たちを収容している。孤児院プログラムに参加したボランティアは主に子供たちの遊び相手になる。なぜかというと、子供たちは毎日刺激されていない環境で生活しているからである。小さい子供なら、ベッドに置きっぱなし。大きい子供なら、公園で置きっぱなし。孤児院に雇われたナースのような保護者は単なる木の陰にタバコを吸いながら子供を見守っているだけ。おそらく、それらの保護者は適切な教育やトレーニングを受けていないか、子供を世話し過ぎて麻痺になって何もしなくなるだろう。しかし、いくら頑張っても、子供たちの運命に変わりがないのは残念ながら真実であろう。

これらの一部の子供たちは、刺激不十分の環境において、‘Syndrome of Institutionalized Children’の症状を示している。要するに、頭を壁にたたきつける等、刺激を求めている。また、幼児の初期における適切な刺激は知能および心身発達に重要であることは既に色々な研究で明らかになっている。したがって、子供の間に知能発達遅延が見られる子がいるのもおかしくないと思われる。そのため、毎日子供たちと遊ぶことによって、互いに刺激し合うことは、子供の心身発達にとっても大事である。ところが、集中的にプログラムがあるのは一年に二ヶ月くらいだけであって、果たして子供たちにとって十分であろうか。(ルーマニア人の学生は祝日等たまに行くと聞いた。)

その上、収容できるのは18歳までである。つまり、18歳になったら、孤児院から出て自力で社会生活をしなくてはならない。施設で一応基本的な教育を受けることがあると思うが、コミュニケーション技術や他の技術がないままでいきなり社会に出るとまた新たな社会的問題になるのではないかと私は思う。そういう社会復帰を支援するシステムをちゃんと整備しないわけにはいかない。

まとめ

ルーマニアは馴染みが少ない国である上に神秘感に包まれミステリアスな国である。歴史が古いということで世界遺産やドラキュラ伝説などが最近注目されつつある。東ヨーロッパ最後の社会主義共和国(1989年)でもあり、より民主・資本主義に向けて色々な改革をしてきたが、長年の社会主義と突然の民主化によって特有の社会的問題が生み出された。実際に行って見て、エイズや子供の問題点の莫大さや深刻さにびっくりして、「悲惨」と言いたいほどの現状を観察した。しかし、こんな難しい病気や苦しい生活を送っているはずなのに、子供や地元の人々の笑顔が最高であり、生活の困難と共存しながら幸せそうに生きている。それに比べて、はるかに豊富な資源をもち健康な状況に生活している我々だが、すぐにストレスを感じてイライラするなど、どちらの方が本当に幸せだろうかと考えさせられた。我々はあくまでも自分達の価値観をもって他人を評価するが、それがいかにおかしいか新たに感じた。問題点の規模や現状には変わりがないが、自分なりに快楽にポジティブに生きていることが大事であろう。最後に、色々とお世話になり、親切に接してくださったルーマニアの皆さんや子供達にこころからお礼申し上げます。


九大熱研HOME活動報告書2003年度ルーマニア班
Last modified on 2004/02/20
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