九大熱研HOME活動報告書2003年度台湾班

台湾班


活動期間:

2003年3月3日から10日まで

活動班員:

上原晶子           玉泉智栄
上村麻衣           堂本和輝
石北綾子           和田しおり
伊藤沙織           (以上、産業医科大学)
下川雄三
松木孝之
(以上、九州大学医学部2年生)

1日目       担当:松木 孝之

私達9人は今日3月3日、台湾に向け福岡空港を出発した。悪天候のため到着予定時刻が多少遅れたが、無事台湾に入国できた。

陽明大学のColinとPaxenが空港まで出迎えに来てくれていた。空港から外へ出ると、多少湿度が高く感じられたが思っていたよりも暑くはなかった。しばらく待っていると大きな観光バスが横付けされた。たいした人数でもないのにどうやらこれが迎えの車らしく、正直驚いた。彼らは明るい性格で、バスの中ですぐ打ち解けることができた。私は英語力に自信があまりなかったが、それでも会話をすることができ、何とかやっていけそうな手応えを感じることはできた。しばらく高速道路を走ると、台北市街に入った。首都だけあってかなり栄えていた。道路には日本車やドイツ車が多く見受けられた。しかし原付の多さには驚いた。しかも1台に数人乗っていた。日本ではありえない。

そして「剣潭海外青年活動中心」という施設に到着した。私達はここに1週間滞在することになった。なかなか立派な建物だし、市街地にあるのでこれからの活動に便利そうだと思った。ただし、部屋の湿度が異常に高かった。チェックインを済ませたあと、私達はMRTを利用して陽明大学に向かった。MRTとはMass Rapid Transit の略で、台北市内をはりめぐらす高速鉄道網のことである。モノレールのように高架を走っている区間もあるし、地下鉄のように地下にもぐっている区間もある。石牌という駅で降り、近くにあるセブンイレブンの前から出ているスクールバスに乗った。

大学の入口付近でバスから降ろされた。そして目にしたのは「国立陽明大学」と書かれた大きな門だった。この大学が台湾においてかなり高い位置づけをされているのだろうと推測できた。そしてそれをくぐると他の学生達が出迎えてくれた。私達は自分の名前が書かれたネームカードをそれぞれもらった。彼らと雑談をしながら大学構内へと入って行った。しかし途中の上り坂がとてもきつかった。まだつかないのかと尋ねると山のてっぺん付近にあるという。これを登って毎日通学するのは大変なので、彼らの多くは原付を利用しているらしい。

初日である今日は、彼らがウェルカムパーティーを開いてくれた。大学構内にある「布査花園」というかなり洒落たフレンチレストランであった。山の上にあるだけあって夜景が綺麗だった。料理も本格的で、かなりよかった。私達はお互いに自己紹介をしあい、台湾の学生が企画してくれたゲームなどをしてこの時間を楽しく過ごすことができた。そのあと再びMRTに乗り、宿舎まで戻った。こうして第1日目を終えた。

2日目 3月4日(火) 雨         担当;和田しおり

台湾での初めての朝、私たちはホテルのエレベーターホールに集まって朝食を食べた。朝食はColinが蛋餅を買ってきてくれた。卵とミートがはさんであるトーストみたいなものですごくおいしかった。

その後國立故宮博物館に行くためにバス停まで歩いたが、私たちの出発が遅かったためにバスに乗り遅れてしまった。そのためタクシーで博物館に行くことにした。タクシーに乗っていて思ったことは、台湾は日本より危険ということだった。交通量ははるかに日本より多く(特に原付自転車)しかも交通マナーが悪い。日本では考えられない運転の仕方をしている人がたくさんいた。台湾で事故にあって死ぬのでは・・・と思うくらいだった。

心配もあったが無事博物館に着いた。ここの博物館には、紀元前から現代に至るさまざまな年代の絵画や陶器が展示されていた。Colinがとても丁寧に説明してくれたのでわかりやすかった。日本と同じで、時代が経つほど複雑で繊細になっていた。途中でHikaruが登場して一緒に行動することにした。Hikaruは去年の夏に受け入れをしたときにあったことがうえに私のことを覚えていてくれたのでとてもうれしかった。Hikaruは台湾と中国の歴史も説明してくれたので、理解がより深まった。故大鏡というきれいな虫眼鏡をHikaruは一番見せたかったらしい。

結構広い博物館だったので、少し疲れたがそのあと近くの公園に行った。アヒルや黒鳥がいる大きな池があって、とても美しい景色だったし空気もおいしかった。この場所は子供がよくリフレッシュするためにくるらしい。こういう自然の景色を見るとすごく落ち着く。

その後、台湾人が車を出し合って、鍼灸に病院の近くにあるところまで行きそこでランチを食べた。ここはまだオープンしたばかりでよく学生も利用するところらしい。お粥みたいな小米燔飯を最初に食べた。これ自体にはあまり味付けがなかったので醤油やお酢などの調味料をみんなかけていた。その後やわらかい牛肉麺、味の薄い醤油麺をみんなで分けあって食べた。この店で一番おいしかったのは水餃だった。とろりととてもやわらかく、さすが本場中国の餃子は違うなあ、と思わせるくらい絶品だった。

満腹したのち、歩いて鍼灸の病院に行った。この病院は総合病院みたいなところで、台北でも大きな病院らしい。鍼灸の病院はそれほどメインではなく小さい病院だという偏見を持っていたので、大きくきれいな病院をみて驚いた。王建人先生がカンファレンスでChinese medicineの一つである鍼灸の基礎を英語で教えてくれた。日本語でもほぼ無知な状態だった上に、英語力が乏しいため非常に理解に苦しんだが、質問したら心優しく教えてくれた。人体の模型を使って、 heart liver spleen kidney lungの5つの臓器と5つの腑(5つの臓器以外のもの、例えばkidneyならurinary bladderとか)がすべてつながっていること(Meridian)を説明してくれた。

例えば親指の付け根のあたりから頭にかけては一つのenergy pass wayがあるため、頭痛のときは親指の付け根がacupuncture pointになるらしい。実際に鍼をこの部分に刺して実演してくれた。西洋医学ではない考え方なのでとても興味深かったし、acupuncture pointが361個もあると聞きとても驚いた。また、ほかにもモグサmoxaを燃やすことや、Cupping、そしてVolls(ドイツの医師)の機械による測定などもしてくれた。Vollsの機械では、端末を指の間にあて、数値が50前後ならバランスがとれていて、外れていたらその指の部分とつながっている臓器が悪いという事になる。

一通り説明が終わった後小グループに分かれて実際の診察の現場を見学した。私がみた患者さんは膝の骨軟化症の方で背中にたくさん鍼が刺さっていた。これは背中と膝が経絡meridianによってつながっているためである。初めて鍼灸の現場を見たが、治療というよりマッサージをされているように患者さんは気持ちよさそうだった。そのあとカンファに戻ってきて陰と陽という概念をはじめ、様々なディスカションをした。王先生の理想は、日本にも鍼灸の現場がもっと増える事らしい。鍼灸についてほとんど無知だったが、ただ鍼を刺しているだけでなく、ちゃんとした理論があり、かつ実際の医学の世界にも立派に用いられているのをみて、鍼灸に対する考え方が変わったし、実際に自分も使えるようになりたいと思った。今回の見学はとてもいい勉強になったしいい経験だったと思う。今回のプロジェクトが医学部同士のイクスチェンジのため、こういう医療施設の見学はとてもいいと思った。観光では経験できない貴重な経験ができたと思う。

時間がたつのは早いもので、いつのまにか夜になった。夕飯は駅の近くで、さまざまな種類の店が屋台のようにたくさん集まっている所だった。ここはとても活気があっておいしいにおいが漂っていた。例えば鶏蛋_仔煎は大人気らしくとてもおいしかった。これは玉子と牡蠣がお好み焼きのように混ぜ合わせてあって、今までにこれに似たような味のものを食べた覚えはなかったが、この世のものとは思えないほどおいしかった。それから大餅包小餅というやわらかい大福みたいなものも同じくらいおいしかった。パピオカ(真珠)の入った珍珠_茶という紅茶もフライドチキンもおいしく、おなかがいっぱいなのに食べてばっかりいた。現炸臭豆腐や麻辣臭豆腐はかなり変な匂いがしたため食べるのに勇気がいるがにおいとは違いとてもおいしかった。

食べ終わったらNight Marketをした。CDショップには宇多田、ミスチル、福山、モーニング娘(早朝女)、サザン、浜崎をはじめ日本の歌手のCDもたくさんあり、年代もかなり古いのまであった。しかもとても安かったので日本人は大喜びで買っていた。私も個人的に日本では見たことのないファイナルファンタジーのサントラを入手した。CDだけでなく服やアクセサリーも相当かわいく安かったので目を奪われた。ずっとあれもほしい、これもほしいといい続けていた。結局私はキャミを買ってしまった。

気付いたらもう9時半を過ぎていたのでホテルに戻った。同じ部屋の子がまだ戻っていなかったので部屋に入れない日本人だけ部屋の外で話していた。台湾人はいうまでもなく、一緒に来た日本人メンバーともすごくなかよくなれたと思う。一日にすごくたくさんいろいろなものを見て経験して話すことができて、疲れたけどとても充実していたと思う。こういう貴重な経験をさせてくれた台湾人に心から感謝したいし、心の広さは本当に尊敬している。夏の受け入れのときに返すことができるのか、それだけが心配である。

3日目           担当:上原 晶子

陽明大学内のCoffee Museumや書籍部で休憩後、電車で中正紀念堂に向かった。これは蒋介石を記念して建てられたものである。中正紀念堂は広大な中正公園の敷地内にあり、公園内には他に国家音楽庁などもある。中正紀念堂内部には巨大な蒋介石の座像が置かれており、その像の前には衛兵がいて定期的に交代式が行われる。私たちが行ったときは終わりごろであったが、少し見ることができた。1階ロビーには、蒋介石のパネルや遺品が展示されている。紀念堂前の庭はとてもきれいで、紀念堂前の広場ではイベントがよく行われるということだった。それから若者の多い西門町に向かった。まずアイスクリームの入ったかき氷を食べてから、少グループに分かれて西門町を見て歩いた。若者に人気の洋服、装飾品、雑貨店、ファーストフード店が立ち並んでいたが、特に日本の物を扱うショップが多いことに驚いた。駅前で合流した後、龍山寺に行った。建物はライトアップされ、欄間のレリーフや柱の装飾は精巧で荘厳な雰囲気だった。ここは神仏混交の寺で、観音菩薩の他、いろいろな神がまつられている。私たちは7本ずつ線香をもらい、それぞれの神にお祈りしてまわった。それからおみくじのようなものをしたが、半月型の2つの板を投げるなど、日本のとは少しやり方が違った。ここで日本語を話すことができるおじいさんに会い、詳しく説明を聞くことができた。次に、中華粽を食べた後、華西街観光夜市に行った。アーケード街には、蛇やスッポンの店があり、そこでは蛇を店頭で裂いて生き血をとっていた。その隣の店で、脚底按摩(足ツボマッサージ)をした。非常に痛かったが、長い間歩き回って重かった足がとても軽くなった。それから途中で豚肉の割包を食べ、宿に戻った。ハードな一日であったが、とても充実感があった。

4日目           担当:堂本 和輝

この日の最初の行き先は台湾動物園でした。朝食を終えたあと日本人メンバーは台湾の学生の車に乗り動物園に向かいました。動物園ではペンギンやライオンのような珍しい動物も見ることができ皆楽しんでいたようです。見終えた後、私達は重順登聴という店で昼食をとりました。そこでは飯団、糖醋排骨、五更腸旺、冬瓜蛤蜊湯などという伝統的な台湾料理が出され、どの料理も非常においしかったように思います。食事を終え、まず私達はホテルに戻りました。ホテルでは出発までの1時間ほどの空き時間でカルチャーショーの予行練習を行いましたが、時間が短かったため、練習は仕方なく途中で切り上げることになりました。1時間ほど経ち、私達は歩いて陽明大学に向かいました。大学に着くと私達は、以前にも来た事がある学生が課外活動でよく利用するという部屋に案内されました。そこでしばらく休憩した後、カルチャーショーが始まりました。まずは陽明大学の学生がダンスを披露してくれました。次に産業医科大学と九州大学で紙芝居「浦島太郎」を読みました。陽明大学の学生の中にもこの話を知っている生徒もいたようで割と好評だったように思います。ぶっつけ本番だったにも関わらず失敗することなく終えることができてよかったと思います。次の陽明大学による伝統舞踊では日本人メンバーも参加し、楽しく踊りました。その次は陽明大学の学生により揚琴や鋼琴といった中国の伝統的な楽器の演奏が行われました。最後に九州大学の学生により羽子板や剣玉といった日本の伝統的な遊びが紹介されました。台湾の学生も初めて見るものに興味津々だったように思います。カルチャーショーを通じてお互いの国の文化を知ることができこの日は非常に有意義な一日になりました。

5日目     担当:上村麻衣

9:10〜 大型貸切バスで出発。初日のバスと同じ大きさ。
バス内で朝食・・・・サンドイッチ・ミルクティー
我々の希望が通じたのか、味覚が慣れたのか、甘さ控えめ。
10:05〜12:10 陽明山相変わらずの雨。陽明市と福岡市共通のsymbol flower のツツジをはじめ、たくさんの花。桜は日本のものより色が濃く一見梅の様だが、近づいてみると形は紛れもなく桜。王陽明(陽明学の祖)の銅像がある。持っているだけの服を着て行ったが非常に寒い。台湾人はダウンを着ている。雨に加えて風も強い。「寒い寒い」と連発していると、生姜湯を買ってくれた。途中雨が弱まり、写真撮影。干支の羊が象ってあった。
移動 (貸切バス)  山道を驚くほどのスピードで進む。一度、対向車を避け脱輪。肝が冷えた。台湾人の運転は荒い。
13:00〜14:11 昼食
鴨のから揚げ・豚足・エビとニンニクの炒め物・あんかけやきそば・アスパラサラダ
魚の練り物スープ・ウナギのから揚げ
マヨネーズまで甘い。うなぎは赤く着色されている。Taiwaneseはアスパラガスの名前を知らなかった。サラダの上のチェリーには、種がない。
移動 (貸切バス) 皆、疲れがたまって 眠っている人も。
15:00〜17:00 JUMING MUSEUM
前衛的な彫刻が野外に並ぶ。斬新なものばかり。興味深いが、外は寒かった。もっと暖かければゆっくり見られただろう。
移動 (貸切バス) 
18:45 hotel 到着 休憩・着替え
移動 陽明大学生の車に分乗
20:00〜22:00 Hot & spicy 鍋
血の塊を出汁にした、見るからに辛そうな鍋。台湾人も日本人も顔を真っ赤にして食べる。
Give up したら アイスの食べ放題。
22:25〜22:45 買い物
夕食の店の近くにはなぜか三越が二軒も。さらに三軒目が建築中だとか。
移動 陽明大学生の車に分乗
23:45 hotel 到着 
24:00〜24:30 玉泉智栄さんの誕生日祝
産医大メンバーの一人、玉泉智栄さんの19歳の誕生日。当人を乗せた車は遠回りして時間を稼ぎ、準備。隣の部屋の人に騒がしいとしかられたところで、主役の到着。台湾側からケーキとシュークリーム。日本人はそれぞれプレゼントを渡す。満腹な上に、陽明大学生の親切への感謝で胸がいっぱいになり、ケーキはなかなかのどを通らなかった。お互いが、いっそう親しくなれた一日だった。


6日目   担当:石北綾子

朝。7時半朝食。台湾をフル体感するためにはTime is money!!ではあるが元来朝が弱い私にはかなりこたえる。Colinが持ってきてくれた朝食は「ピーナッツジュース」と「いきなり団子」の皮に肉餡が入っているようなもの。素朴な味でおいしい。が、できれば昼以降に食べたかった…。例のごとくバタバタと出発。もう慣れっ子になったMRTに乗って一路忠義駅へ!!

和信治癌中心医院

本当に沖縄より南なのだろうかと疑いたくなるような寒さの中、和信治癌中心医院へ到着。ここは癌を専門とした病院。中でも緩和医療(palliative care;安寧医療)についてお話を伺った。緩和医療は、積極的医療をやめ、痛みをなくし、心地よい生活と尊厳のある死を目標とする医療である。

この病院には医師、看護師のみならず多数の宗教家、社会福祉士、マッサージ師、ボランティア(話し相手になる)が働いている。誰しもが抱く死への恐れ。それを少しでも和らげるために様々な方向からケアがなされる。一瞬美術館かと疑うようなエントランスホール、カフェ、週2,3回の演奏会もその一部だろう。

印象に残った話をひとつ。和信治癌中心医院では、積極的治療も行っている。どちらを行うかの決定権は全て主治医に委ねられているという。日本では「患者さんの希望で」決まる気がしていたので、しつこく尋ねたが「“Of course!”担当医が決める」らしい。患者さんにとって何が一番いい方法なのかを決められるのは、患者さんのことも、医学も熟知した医師しかいない!!と言い切れる自信。患者さんから得られる信頼。ある一国の世論だけでは頭が偏るなと痛感した。

昼食。少々ご馳走慣れしすぎている胃のために「お粥」と「コーヒー」を望む声が出た。「コーヒー」は「coffee」で通じるからいいが、問題は「お粥。」“rice with too much water”と言った後、スープにお米が浮いてる食べ物を想像してしまい、慌てて「粥」と書いた。漢字は便利だ。陽明大学近くのお店にて、小米粥(15元)、蝦仁蒸餃(45元)、葱焼豚肉餅(20元)を。食べたら恐ろしくテンションがあがった。さすが台湾料理!!ところで、お粥に砂糖を勧めてくれたのを断り、塩や醤油をかけて食べる日本人学生は台湾人学生の目にどのように映っただろうか?

淡水

★ 老街
元旦の太宰府のような商店街。なんとも形容しがたいゴムピータンを口にほうばりながら民芸品を見て回る。みんなでわいわい進んで行くのはそれだけで心が浮かれてしまう。

★ 紅毛城
河口付近の道を長い列になって思い思いの話の花を咲かせていたら、.あっという間にお城に到着。ちょっと小高いところにあり、こんな所に住むのが夢だった!!というようなお城から見下ろす水面はきらきら輝いて眩しい。Hikaruに阿蘇の根子岳と同じように見える観音山を教えてもらった。国は違っても同じように感じるんだあって、うれしくなった。

★ アゲ
「あげる」と3回くらい言われて、日本語の「揚げる」に由来しているのだと気付く。厚揚げの中に春雨。想像するほどこってりしていなくて美味。とても食べきれないと思われたが、ペロッと完食できちゃうおいしさである。

★ 快速艇
「先端に乗るか」との言葉に皆すかさず“Yes!!”誰もがタイタニックを思い浮かべ、さわやかな浜風を期待したはず。しかし、ずぶ濡れの救命胴着を渡されたときから事態は一変。すさまじい風に髪は乱れまわり、波に揺られる船は命の保証のないジェットコースター。大興奮ではしゃぎまわる。帰りの快速艇は、また一味違ったのだがこれは後述しよう。

★ 漁人埠頭。
オープンしたばかりの橋が美しくライトアップされている。橋の支柱とみんなで写真に収まろうとがんばったり、冗談をとばしあったり。1週間前まではアカノタニンだったのに楽しく過ごせるのが不思議だ。「ここはデートスポットだよ」と言われ、周りにはカップルしかいないと気付いても全く(?)寂しくならず楽しめる。こんな経験ってあるだろうか。魚介類の食堂、カフェを横目に桟橋を音を鳴らして歩く。ただそれだけが無性に心に残っている。

★ 復路の快速艇。
往路の衝撃を求めて同じ位置に陣取る。ずぶ濡れの救命胴着を何の迷いもなく着用。ところが、船が動き始めるやいなや潮水のシャワーである。水のトンネルだ。救命胴着のみならずこちらも全身ずぶ濡れ。滅多にない経験ではある。が、寒かった。冷え切った体を温めようと肉まんとスープを食べた。食べてばかりだが常に喜んで受け入れる胃に我ながらびっくりである。Taiwaneseの心遣いと食べ物ですっかり回復したら各々買い物。ついつい目移りしてしまう。うろちょろうろちょろしてかばんがパンパンになるまで買ってしまった。

夜がふけてもいっこうに数の減らない原付バイクの横を歩いて宿に戻る。一日が過ぎるのが早い。24時間本当にたっているのだろうか。今日もまた終わっていく。

7日目     担当:伊藤沙織

8:00 ̄8:30 朝食
8:30 ̄9:30 荷物まとめ、部屋の片付け
10:00 チェックアウト
10:30 ̄14:00 陽明大学でプレゼンの準備、昼食(焼き飯<牛肉または羊肉入り>)
14:00 ̄16:00 陽明大学でプレゼンテーション

今回のプレゼンテーションは、Traditional Medicineをテーマとして行われました。プレゼンは日本側、台湾側あわせて4個でした。

  1. Chinese Medicine In Japan by 和田、堂本、玉泉(UOEH)
  2. GbE (Yangming University)
  3. 湯治 by 上村、下川、上原、石北、伊藤、松木(九州大学)
  4. Chinese Medicine by Colin(Yangming University)

それぞれのプレゼンのあとに質問の時間が持たれ、英語での議論が交わされました。台湾の学生は英語がうまくプレゼンにも慣れているようでした。私たち日本人学生のプレゼンはフレッシュマンらしいという評価でした。今後もプレゼンの機会があれば積極的に参加したいと思います。

16:00 ̄18:00 Tea Shopでお土産にお茶を買う
18:30 ̄23:00 ステーキハウスでFarewell party
23:00 ̄ オールナイトでカラオケ

朝までカラオケボックスで歌いました。台湾では日本の歌が流行っていて、カラオケにも日本の曲がたくさんありました。台湾人にも日本の曲を歌える人がいて、中国語・日本語・英語などなどが飛び交う国際色あふれる空間になりました。そこが特別だったのか、台湾のカラオケボックスはパン・ドリンクなどが食べ飲み放題で驚きました。


歌う前にはプレゼント交換をし、一緒に写真を撮ったりしました。日本側は日本でプレゼントを買っていき、台湾の人たちも台湾のお菓子・置物などを用意してくれていました。一人一人と話していると、もう一週間が終わってしまったのかと悲しくなりました。睡眠時間の短い日が続いていたことなどすっかり忘れるほどみんな盛り上がって歌いました。


8日目    担当:玉泉智栄

この日は前日から寝ずのカラオケ&バス移動から始まった…ので、いつからを最終日というべきなのだろうか?台湾のカラオケボックスは日本のこじんまりとしたものとは全く異なり、ホテルのようで部屋も廊下も広く、カラオケ画面はちょっとしたシアターのような、ものすごく大きな画面だった。日本にExchangeで来た台湾人はさぞ、日本のカラオケの規模の小ささに驚いたことだろうと恥ずかしくなってしまった。更に食べ放題と飲み放題がセルフサービスなことにも驚いた。台湾のカラオケボックスはみなこのようにすばらしいものばかりなのだろうか…?私は是非とも、高級な所に連れて行ってくれただけであると信じたい、と思ってしまった…。登録されている日本の曲の多さは、私たちの予想をはるかに超えていてものすごくマイナーなのでは…と思ってしまうような曲まで入っていたので少し笑えてしまった。私たちが台湾でも有名なKiroroを歌うと一緒に歌ってくれた。音楽に関しては、日本人が洋楽を好きなように、言葉の壁はないに等しいと思えた。台湾の歌はバスの中でくつろぐ私たちの耳にもとても優しく響いた。台湾の人たちにも日本の歌が同じように言葉を超えて響いてくれているからあんなにも台湾で日本の歌が流行しているのだろうと信じたくなった。昔、戦争で私たちが傷付けてしまった国で、決して傷を忘れたわけではないとは思うけれど、歌を通じて受け入れようとしてくれているのではないかと思えた。安易な考えすぎるかもしれないが…。

だが、楽しい時間は流れるように過ぎていき、すぐに午前四時…空港に向けて出発の時間になってしまった。外は生憎の雨だった。バスの中は皆静かで、私は深い眠りにおちてしまった。空港に到着すると、早朝のせいか人はほとんど見られず、静まり返っていた。その日もみんな講義があるというのにも拘らず、徹夜でカラオケに付き合ってくれ、空港にまで多くの見送りが来てくれた。去年の夏にExchangeで日本に来て、今回私たちの受け入れをしてくれたHikaruが、自分は見送りに来ることができないから…と、おみやげまで預けてくれていたのには本当に驚いたし、嬉しかった。Hikaruからの贈り物は、白くて無味の太陽餅というものだった。しかし、名前と違い、中身は餅ではなく、今まで食べたことのないような饅頭のようなものだった。私たちはHikaruのあまりの気遣いに感動し、それぞれで改めて、メッセージを書き、他のメンバーに言付けた。時間が経ち、空港が機能し始めたので、私たちは、台湾で使い残した台湾ドルを換金し、荷物を預けた。それから、みんなで別れを惜しみながら写真を撮り合い、別れの涙を堪えることができずに、抱き合って泣いてしまった。今までの、どの友との別れよりもずっと辛いと感じる時間が刻々と過ぎていった…。とうとう搭乗手続きの時間になり、わたしたちはまた会うことを約束し合いながらガラス越しの列に並んだ。ガラス一枚の隔たりが、こんなにも悲しいものだと思ったのは初めてだった。私たちは奥に入って角を曲がって相手が見えなくなるまで手を振ったし、台湾のメンバーもずっとガラスの外から手を振ってくれていた。

私たちはこのExchangeを通して、台湾の衣食住などの生活文化はもちろんであるが、それ以上に、国境を越えた友情を得た。私も、台湾のメンバーが私たちにしてくれたような精一杯の頑張りで、夏にExchangeで来てくれるみんなを歓迎し、最高の…一生忘れられない思い出になったと思ってくれるように一生懸命、頑張りたいと心の底から思えた。それほどに私にとってこのExchangeの旅は収穫の多い、一生モノの最高の思い出となった。普通の観光旅行とは違う、机の上では学ぶことのできないものを沢山学ぶことができた。これらの経験は私の肥しとなってこれからの私を形成していくだろう。私は二年後、大学を卒業して社会人になるが、日本という狭い枠組みだけで物事を考える小さな大人ではなく、広い視野で世界を眺めることができるグローバルな大人になれることを切に願う。


九大熱研HOME活動報告書2003年度台湾班
Last modified on 2004/02/20
九州大学医学部熱帯医学研究会
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