九大熱研HOME活動報告書2004年度大分別府班

大分別府班

活動目的:

マザーテレサが中心となって設立された「神の愛の宣教師会」は日本にも3つの拠点を持ち、恵まれない人たちのために活動している。今回は別府のホームレスの方たちに対する炊き出しに参加する。

班員:

平峯 智(九州大学医学部4年)
清水寿顕(九州大学医学部1年)

活動場所及び期間:

大分県別府市。平成16年8月。

活動概略

4年 平峯 智

今回の活動でお世話になったのは大分別府にあるMOC(日本語では「神の愛の宣教者会」)という団体の施設である。まずはMOC設立の経緯を、その設立者であるマザーテレサの生涯とともに紹介したいと思う。

1910年 マザー・テレサ、マケドニアに生まれる。

1928年 修道女となり、インドの修練院に送られる。

1946年 ダージリン行きの汽車の中で「貧しき者たちと共にあれ。貧しき者のために働け。」という神の声を聞く。このころのインドは第二次大戦後でとても荒廃しており、それにとても心を痛めていた、とマザーはのちに語っている。これより以後、インドのコルカタの路上で行き倒れになっている人間達に手当てを施す活動を始める。

1950年 「貧しい人たちと同じ立場に身を置いて活動したい」という意思からインド国籍を取得。賛同する二人のシスターとともにMOC(Missionary of Charity)を設立。はじめはキリスト教の修道女ということで、インドのヒンドゥー・イスラム教徒から敬遠されていたが、宗教や信条に関わらず人々を救うマザーの姿勢が受け入れられ、徐々にコルカタの社会にも溶け込んでいった。

1952年 インド、コルカタに「死を待つ人の家」を開設。

日本でも名の知られている「死を待つ人の家」に関しては本報告書の「インド班」の報告を読んでいただきたい。この「死を待つ人の家」の活動が世界中のメディアで報道されて寄付金が集まり、MOCの施設はコルカタからインド中に、そして世界中に広がっていったのである。

日本で初めてのMOCの施設は約20年前、東京にできた。MOCは他のカトリック団体と同様、妊娠中絶に反対の立場をとっているが、この考えを日本の人々に伝えたいという目的で、日本に入ってきたそうだ。しかし、年月を経るうちに日本のMOCも他国と同じように「貧しい、孤独な人々のために」という活動に力を入れるようになっていき、ホームレスへの炊き出しや身寄りのない老人の世話などをはじめた。今では日本国内には東京、名古屋、別府の三ヶ所に施設があり、今回お世話になった別府MOCではホームレスへの炊き出しを3年前から、別府市の他のカトリック団体と協力して高齢者の世話を2年前から行っているそうだ。

私は昨年の夏、同学年の友人とともにインド班を立ち上げ、コルカタの「死を待つ人の家」でボランティア活動を行ってきた。そこで、不幸な人々に手を差し伸べるという愛の精神の素晴らしさ、その一つの形としての宗教の力の大きさなどを知った。そして、これから医師になり社会に貢献していく者としての大切な心がまえを学んだ。

この大分別府班は、私が非常に感銘を受けたマザーの愛の精神を、ぜひ後輩たちにも伝えていきたいという気持ちで立ち上げた班である。MOCの活動への参加は、医学部に入りたての下級生でも取り組みやすく、また感じるところの多い班だと思う。今年は1年の後輩が参加してくれたが、今後もこの別府班、あるいはインド班のような活動が熱研の一つの流れとして長く続いていくことを切に願う。

神の愛の宣教者会

1年 清水 寿顕

大分県別府市の「神の愛の宣教者会」(MOC)でボランティア活動を行ってきたので、それについて述べようと思う。

別府は博多駅から特急で約2時間半の行程であり、言わずと知れた温泉街である。駅を降りると観光客だと思って地獄めぐりはいかないのですか、などと声をかけてくる。しかし、駅前は最近立てられた建物が多く、古くからの温泉街というよりは普通の1都市という印象であった。神の愛の宣教者会は東南の浜脇にあり、タクシーで向かった。少し山に入ったところにあり、わかりにくい場所であったが、なんとかたどり着いた。挨拶をして入らせてもらうと、サリーを着たシスター達が出迎えてくれた。サリーとはインドでは最も身分の低い人が着る服であり、マザーが着ていたものである。それはカルカッタでも別府でも同じであるため、マザーの精神を受け継いでいることが容易に理解できる。その日は既に活動が終わっていたので、シスターの話を伺うことができた。詳細なことは覚えていないが、重要なことは、いかにシスター達にとって神さまというのが大切な要素であるかということである。彼女らは毎日欠かさずにお祈りをするのだが、それは毎日の生きていくエネルギーをお祈りによって得ているからである。お祈りをすることでエネルギーを得、それによって、生きていけるし、また、日々の奉仕活動を行うことも可能になると考えているのである。神さまに感謝し、お仕えしているのだ、というのが彼女らの活動の原動力なのである。その後、実際にお祈りをさせてもらったが、宗教とは縁遠い私には全くわからず、見よう見まねでやってみたが、よくわからなかった。それでもシスター達は優しく受け入れてくれた。その日は翌日にお年寄りの食事の世話、3日後にホームレスの人たちに対する炊き出しの手伝いをすることを約束して帰った。

翌朝、MOCに行き、準備をした後に調理を手伝った。野菜を切ったり、具を混ぜたりして、寿司、肉じゃが、素麺などを作り、それをテーブルにセットした。我々ボランティアの分も用意していただけた。しばらくすると、元気な歌い声が聞こえてきた。食後にカラオケ大会を行っているようで、みなお気に入りの歌を歌ったり、あるいは得意の踊りを披露したりしていた。食事のかたづけと調理場の掃除、洗濯をしながら、その様子を見ていたが、誰もが楽しそうで、とてもいい雰囲気であった。私の祖母は2人とも昨年亡くなったが、どちらも特に外の人との付き合いがほとんど無く、とても寂しそうで、時々孫の私が行ったりすると非常に喜んでくれたのをよく覚えているので、MOCに来られている方々はとても恵まれていると思った。また、そのことに少しだけとはいえ、役に立てたことが嬉しかった。カラオケ終了後、シスター達がキリスト教の話を少しなされて、我々が全員の前で挨拶をして解散であった。

その次の日は木曜日であったために、MOCは休みであった。そのため、活動はその次の金曜日に行うことになった。金曜日の仕事はホームレスの方たちに、夕方に炊き出しを行うことである。約束の3時頃に着くと、シスター達は既に準備を始めていた。混ぜご飯のおにぎりと味噌汁、そして手作りのケーキを作るのを手伝った。シスター達がお祈りを済ませるのを待って、それらを公園に運び、ホームレスの人たちに配った。ホームレスの人というと、怠惰だとか、どこか問題がある人であるといったイメージを持つかもしれないが、実際はほとんどが、どこにでもいるような普通の人たちである。仕事をしている人もいるし、子供がいる人もいる。互いに顔見知りのようで、仲の良い人同士で楽しそうに食事をしていた。気楽に生きているように見えるが、内面では、年金などに頼れないために将来についてそれなりに考えている人たちが多いのではないかと思われた。しかし、中にはシスターがいくらいっても酒をやめられない人や、心を開けずに孤独に生きている人もいた。残念ながら、話し合う機会には恵まれなかったが、彼らにとって、シスター達は物質的な援助をしてくれるというよりは精神的な支えであり、近況を語ったり、色々なことを相談しに来たりしていた。

まとめとして、この活動を通して感じたことを述べたいと思う。今回の活動で何よりも感じたのはシスター達の優しさである。彼女らはお年寄り、ホームレス、我々ボランティア、誰に対しても同じように優しかった。2日目に行った洗濯は手でやらなくてはならなかったため、私は途中で腰が痛くなったので、変わった姿勢でやっていたら、シスターは、そんなに無理しなくていい私がやるから、と母親が自分の子供に対するように言ってくるのである。シスター達の印象を言えと言われたら、みんなの母親的な存在というのが最も的確に表現できよう。そのように人に接し、また、日々誰かのために働いているからこそ、人々の信頼を得ることができるのである。まさに、桃李もの言わずとも下自ずから小道を成す、である。これは将来医師となる私には重要なことである。医師は医療の知識・技術を正しく習得し、それが実践できるだけでなく、患者さんとコミュニケーションを通して彼らの信頼を得なければならない。そのためには、医師としての技量に優れていることは必要不可欠であるが、それだけではなく、自らの姿勢を正し、誰に対しても等しく愛情を持って接していくことが重要である。今回の活動ではあらためてそれを強く感じさせられた。しかし、ここで忘れてはならないことが一つある。シスター達が行っていることは素晴らしいことではあるが、残念ながら、別府市民にはMOCはほとんど知られていないのである。実際、初日に乗ったタクシーの運転手もMOCを聞いたことがなかったようで、行くのに苦労した。これは何故であろうか。私はMOCの活動の原点に宗教があるからだと思う。一緒に活動していて常に感じるのが、シスター達がカトリックを基に考え、行動しているということである。しかしながら、日本人にとって、宗教というのは馴染みが無いし、どちらかといえばあやしいといったマイナスなイメージが強いのではないだろうか。また、宗教には特にこだわりが無い人でも、特定の宗教の教えを聞くのは嫌だという人も多いと思う。宗教色の薄い日本でそうなのであるから、まして他の宗教を信じているような国などではなおさらなのではないだろうかと思ってしまう。もしそうだとすると、こちらとしては誰でも受け入れる、という気持ちと姿勢でいたとしても、相手が拒否してしまうこともあり得る。それでは真の相互信頼は得られないのではないだろうか。医者としての心構えに直すと自分が医者はこうあるべき、人としてこうあるべきという信条は各々個人で違うものを持っているべきだが、それだけを全面に押し出すべきではなく、その時の状況、場所、相手の気持ちなどを考慮して最良と思われる行動をとることを重視するべきだと思った。

最後になったが、この別府班を企画し、様々なサポートをしてくださった熱研の先輩方、OBの方々に感謝いたします。


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Last modified on 2005/06/23
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