グアテマラ班

1 中米の国 グアテマラ

 グアテマラへは日本からの直行便はなく、アメリカのロサンゼルスなどで飛行機をのりかえなければならない。ロスで飛行機をのりかえスペイン語を話すお客にかこまれさらに6時間、グアテマラシティの中心部に近いオーロラ空港に到着する。中米の国グアテマラの面積は約100,000・で北緯15度あたりに位置し、北側はメキシコ、ベリーズと隣接し南側はホンジュラスと接する。低地では熱帯性の気候であるが、国土の西側はほとんど1000m〜2000mの高地となっており夏でも涼しい。

 人口は約1,000万、そのうち150万人ほどが首都グアテマラシティに住んでいる。グアテマラシティの町なみを歩くと所々ではあるが背の高いビルも立ち並び、中心部では生活雑貨、食べ物などを売る商店や露店が狭い通りに密集していてにぎやかだ。広い道路では新しい車、古い車、ものすごくド派手なボンネットつきのバスが客を詰め込んで音をたてながら走ってゆく。

 グアテマラシティから出ると、しばらく濃い緑で覆われた山々の景色が続く。カリブ海方面へ進みだんだん標高も下がってくると、暑さが増し、木々も熱帯ぽくなりサトウキビ畑やバナナ園などを目にするようになる。この国の経済はそれらを作物とする農業にささえられているようだ。途中、幾つかの集落があったが、人口の60%ほどは地方に20,000ぐらいある人口500人以下の小村にて暮らしているらしい。

 グアテマラシティではあまり見かけなかったが、地方の町に行くと子どもたちが、特にインディヘナ(先住民族のこと)の子どもたちがものを売ったりして働いている姿を多く見かけた。彼らに歳をたずねてみると8歳とか9歳だとか言っていた。学校に行っているのかと聞いてみるとSi.だのNo,por que no quiero (No,because I don’t want to.)だのもろもろの答えが返ってきたが、夜9時10時ごろまでものを売り歩いている子どもたちもいたり、この国の識字率は15歳以上で55%と低いことを考えると彼らにとって十分な教育を受けられる環境が整っていないことを思わせるものであった。

 もともとグアテマラではマヤ系のインディヘナが昔から多く暮らしていて、16世紀から19世紀にかけての植民地支配の中でスペイン人が持ち込んだヨーロッパ文化とはまったく起源を異にする文化、言語をもっている。さらに、彼らの各部落ごとに伝統衣装が変わっていたり、彼らの中でも20数種ものキチェ、カクチケルなどの別々の言葉が存在していて、国の公用語であるスペイン語をまだ話せない人々もいる。だが、その多様性が情報の浸透への障害、また、彼らに対する差別も招いているという問題があることも隠せない。


2 グアテマラの医学的データ 

 人々の平均寿命は64.42歳、出生率35.42人/1000人、乳児死亡率53.9人/1000人、死亡率7.53人/1000人(1994年)となっている。特に乳児死亡率については、日本においての5人/1000人に比べてかなり高い。医師1人あたりの国民数も2180人となっており、日本における571人という数字と比べて医師数の不足をも物語っている。1988〜1990年にかけての死亡の原因となった疾患は呼吸器の感染症と消化管の感染症がトップになっており栄養失調も主な原因の一つとなっている。また、特に子供達の間で健康障害の原因となっているものは栄養失調もさることながら衛生上好ましくない食物の摂取からとなっている。


3 カリブ海沿岸地域でのフィラリア症調査に同行して

 この調査は本研究会の会長である九州大学医学部寄生虫学講座の多田先生がJICAの技術協力の一貫として毎年行っているもので、今回はリビングストン、マリスコスという2つの地域で実施された。メンバーは我々学生2人と多田先生、産業医大の嶋田先生、長崎大熱研の藤巻先生、そして現地のドクターであるアルゲッタ先生、オチョア先生の七名であった。今回の調査の目的は、近年グアテマラでは従来のオンコセルカフィラリア症に加えて、バンクロフトフィラリア症という今まで見られなかったフィラリア症の症状を持った人の例が報告されるようになったため、そのことに関して実態を調べようというものであった。

 7月29日はカリブ海に注ぐリオ・ドルセ川の河口に位置するリビングストンにおいて調査が行われた。人口3000人ほどの町だが病院らしいものはなく、保健所(Centrode Salud)がひとつあり、そこに医者1名保健婦8名のスタッフが働いているという状況であった。病院ではないので基本的に入院ができず、そのため重病の患者は川の反対側の町プエルトバリオスの病院までボートで行かなければならないらしい。今回の調査もこの保健所で行われた。当日は21人が訪れた。現地の人に聞いたところ、主に流行している病気は貧血、サランピオンなどでフィラリア症はあまり見られないとのことだった。この地域は熱帯雨林気候でジャングルが広がっており、そのジャングル内で様々な病気にかかるケースが多いらしい。

 7月30日はプエルトバリオスからやや内陸に入ったマリスコスで調査が行われ、同じくCentro de Saludにおいてであった。ここの保健所は、町の人口が5300人とリビングストンより多いのにも関わらず、看護婦1名と技師1名のわずか2名というスタッフしかいなかった。看護婦の人に聞いたところ、リビングストンと同様に重病の人はプエルトバリオスに行ってもらうけれども、1日20~40人程の患者が来る上に、現地のワクチン(ポリオ、麻疹、DPT、BCGの4つ)についても一手に引き受けているようで、あまりの重労働に倒れたこともあったらしい。なおこの保健所では注射針の使い回しはしておらず、子どもの90%はワクチンを受けているとのことで、基本的な健康管理はしっかりしていると思われた。当日は32名が訪れ、そのうち1名がバンクロフトフィラリア症に特有の象皮病の症状を呈していた。これがバンクロフトフィラリアによるものであるかどうかは日本に帰国後詳しく検査するとのことであった。2つの地区の病院(保健所)を見てきて、やはり都市部と農村部との医療設備の格差が感じられた。次に述べる、首都グアテマラシティーの病院に比べると、医療機器はもちろん、薬、スタッフと様々な面で農村部の病院は不足しているらしい。後日、インディヘナ(グアテマラの先住民)の村の保健所を訪れたが、そこでは旅行者がみやげにおいていってくれる薬も頼りにしているとのことで、問題の深刻さを物語っていた。


4 グアテマラシティの病院見学

 フィラリア調査が終わった後、首都グアテマラシティーで、現地の医師であるアルゲッタ先生とともに病院を見学することができた。グアテマラの病院は大きく分けて3種類ある。Public Hospital、Private Hospital、Social security Hospitalの3つだが、今回は先生の都合もあり、Private HospitalとPublic Hospitalの2つを見学できた。

・Bella Aurora病院(Private Hospital)

病室は3種類に分かれており、個室の1stカテゴリーの病室が1日50$、ベッドが2つの2ndカテゴリーが40$、同じくベッドが5つの3rdカテゴリーが30$という値段設定になっており、しかも診療費は別なので実際は更に高額である。ただし健康保険に加入していれば個人負担は10%と大幅に軽減されるのだが、日本のような国民皆保険制度はなく、加入しているのは全人口の1割ほどである。よって経済的な理由から大半の人は次のPublic Hospitalに行くことになる。このようにPrivate Hospital は高額であるが、その分施設も充実しており、グアテマラ国内にあるCTスキャン(10台)、MRI(2台)はすべてPrivate Hospitalに集中している。見学したところ、日本でも十分に通用しそうな立派な病院であった。

・Roosevelt病院(Public Hospital)

ベッド数600床のグアテマラでも有数の大病院である。診療費が無料(一部の特殊な検査などは除く)であることもあって、廊下が患者で埋まっていたりと整然とした雰囲気のPrivate Hospitalとは対照的であった。患者が集中することもあって、ベッド、薬、医療機器などが慢性的に不足している。我々が見学したときはJICAから送られた研究機器もあった。当日も救急車で来院した患者が治療を受けた後、ベッドごと廊下に出されていたり、ICUの窓が開いていたりと衛生管理も十分に行き届いてないことをうかがわせた。なお、このようなPublic Hospitalはグアテマラ国内に35あるとのことであった。

 なお、Social Security Hospital は見学できなかったが、先生の話によれば、Public Hospital とほぼ同様であるとのことであった。病院は24時間開いており、Public HospitalやSocial Security Hospitalは無料なので医療がまったく受けられないという人はいないものとおもわれる。しかし、Public HospitalとPrivate Hospitalとはかなりの格差があり、しかも農村部には病院がないところもかなりあるのでまだ多くの人が満足な医療が受けられるには至っていないと思われた。

 そのほか、アルゲッタ先生にはサン・カルロス大学医学部の見学もさせていただいた。大体日本の大学と同じ様であったが、グアテマラには2つしか医学校がなく、その代わりに1学年に500人ほどの学生がいるというところが驚きであった。


5 ところでJICAとは

 今回我々が、見学させていただいたフィラリア調査はJICAの医療技術協力の一貫として多田先生が行っているものである。ここではJICAの活動について、我々が見学してきたことを報告しながら説明していきたい。

・JICA(国際協力事業団)は、開発途上地域の社会の発展に寄与し、国際協力の促進を図るという目的で1974年の「国際協力事業団法」によって設立された特殊法人で、ODA(政府開発援助)の実施機関として政府ベースの技術協力事業や青年海外協力隊の派遣などを行っている。

・JICAの技術協力のうち、医療技術協力は、途上国からの要請に基づき、その国自らが医療環境の改善に向かって努力していけるようになることが目的であり、そのために予防や診断治療研究をはじめ地域保健の改善、医療従事者の養成など様々な協力を行っている。今回我々が訪れた中米地域に対しては、この医療協力事業が重要なウエイトを占めている。

・技術協力の方法には主なものとして「研修員の受け入れ」、「専門家の派遣」、「機材の供与」があるが近年の各国の養成の多様化、高度化により、この3つを組み合わせた「プロジェクト方式技術協力」というやり方が増えており、今回のフィラリア調査を含む熱帯病研究もこの方法を採用している。
 
プロジェクト方式技術協力は次のような流れで進行していく。

1. 協力要請〜協力を希望する発展途上国から、協力の要請とその内容が日本政府に提出される。
2. 事前調査〜要請のあったプロジェクト方式技術協力の可能性について、現地事情などの基礎的な調査を行う。
3. 実施協議調査〜事前調査によって得られた結果を基に要請に対する協力の内容、期間などについて協議し、基本計画を作成する。これが実質的な協力のスタートになる。
4. 計画打ち合わせ〜協力中のプロジェクトの実施状況を調査し、協力の具体的事項について相手国実施機関と打ち合わせをする。
5. 巡回指導〜協力中のプロジェクトについての課題を明らかにし、派遣専門家やカウンターパートに対して技術指導や助言を行う。
6. 機材修理〜現地で修復不可能な供与機材の故障を補修したり、機材一般に対する保守や管理を行う。
7. エバリュエーション調査〜協力期間が終了に近づくと、第三者の立場かそれまでの協力効果を測定し、協力終了の可否などについて協議する。
8. フォローアップ 〜協力事業活動のうち特に必要な活動について引き続き、一定期間継続実施し、効果を上げる。
9. アフターケア〜プロジェクト終了後、過去の協力事業の効果を上げるために必要な協力活動を期間限定で行う。

 次に述べるデング熱研究もフィラリア調査と共にこのプロジェクト方式技術協力に基づいて行われるものである。


6 グアテマラにおけるJICAの活動

 今日グアテマラにおいてもマラリアをはじめとする熱帯病が依然として大きな問題となっており、同国は厚生省にマラリア局を設置し防圧対策に努めてきているが、デング熱、シャーガス病、リーシュマニア症、有鉤嚢虫症、オンコセルカ症については十分な防圧対策を確立するに至ってない。

 日本はこれまでも同国に対し「オンコセルカ症研究対策プロジェクト(1975〜1983)」、「マラリア対策ミニプロジェクト(1987〜1990)」を通じ熱帯病対策分野での技術協力を進めてきた。グアテマラ政府は、上記協力の成果もふまえ、包括的に熱帯病を研究していくことにより更に効果的な対策が確立可能であるとして、日本に対し「熱帯病研究所」設立のための技術協力及び施設建設を要請してきた。

 JICAは1991年9月に調査団を派遣し、協議の結果1991年10月から5年間にわたり上記各疾病についての技術協力を実施することになった。

 我々は今回、グアテマラにて多田先生が行ったフィラリア調査の見学、グアテマラシティにある医療施設の見学とともに、マラリア局を訪問することができた。

 そこでは、シャーガス病専門の田原先生、デング熱専門の田中先生にお世話になったが、田中先生からデング熱の防圧の研究のお話を伺うことができた。

 デング熱とは、ネッタイシマカ、ヒトスジシマカなどを媒介昆虫とするウイルス性の疾患で、南方の熱帯、亜熱帯地方にみられる。発症すると発熱、発疹、頭、腰、関節、筋肉の疼痛が現れ、また、再感染を起こしたときは出血傾向も現れしばしばショック症状を来たし、致死率も高くなる。治療法としては、現在のところ対症療法しかなく、予防対策として蚊の駆除に努めることが重要になっている。

 ここグアテマラでは地方の部落において、未だに水道の供給が十分でなく、給水制限があったりして、人々は水を確保するためにドラム缶に水を貯めて保管していたり、水を貯めて食器を洗ったり洗濯のできるピラというコンクリート製の容器兼ながしを所有しているが、それらにボーフラがわきデング熱の流行る原因の一つとなっているらしい。また彼らは古いタイヤを捨てずに保管していてニワトリのための飲み水の容器にしているがそのタイヤに溜まった水からもボーフラが発生しているらしい。

 雨季と乾季では、ボーフラの発生数は違ってくるわけだが、当然いたるところに水が溜まる雨季に多く発生するわけで1つのピラにその家庭用ふろ桶半分ぐらいの容量に1度に1,500匹ものボーフラが確認されたこともあるらしい。

 まず防圧の対策としてボーフラの発生をくい止めることから試みられた。対象地区のドラム缶、ピラ、タイヤなどに東南アジアでマラリア対策に用いられているtenephosという小粒状の殺虫剤を入れ続けてみてボーフラの発生数の変化を調べてみたら、見事に数は減り乾季ではほとんど発生がなくなったが雨季では気がつかないところ、例えば、大きな木の葉などに水が溜まってたりして、完全に発生を防ぐことはできなかったらしい。

 また、蚊自体がどれぐらいの密度でいるのかということと、密度をどれぐらい下げれば流行がなくなるかということも調べなければならないということであった。どうやって成虫のを量っているかというと、屋内に蚊のおとりとなる人を置いておいて近づいてきた蚊を捕らえて数えるというちょっとリスキーな「人おとり法」や、洗面器に水を溜めて水の回りをガムテープみたいな帯で囲い蚊がその帯の部分に産卵する習性を利用して産卵数から成虫の数を割り出すという「オビトラップ法」などで蚊の密度を推定しているということであった。

 だが、そこから得られた数はあくまでも不確定な推定の数、密度にすぎずその中でウイルス持った蚊がどれぐらいいるのかは分からないとのことである。また、血清学的検査がまだ完全にできておらず、しかもデング熱の症状は急性なのでデング熱に罹っている患者の数が分かっていないということである。

 あと、新たな問題として中米にはもともといなかったヒトスジシマカがグアテマラで発見されており、東南アジアから輸入した中古タイヤに潜んで侵入したものと考えられている。

 しかし、なによりも一番大切なのは、蚊の駆除のために殺虫剤に頼るだけでは疾病対策として十分な効果を挙げることができないので、防除の実施にあたっては、継続的に殺虫剤を使ってもらったり、不要な水の溜まるところをつくらせないなど住民の啓蒙が必要であるということである。ただそこで彼らにポスターやパンフレットを配るだけでは識字率の低さによりその効果は十分なものにならないので、直接住民に接して対策を伝えていくことが重要となっているとのことであった。

 先生はプロジェクト全体の課題として次のようなことも話された。

 上記の5つの疾患についての研究プロジェクトが5年前に発足したわけだがそれぞれのプロジェクトに何年もつきっきりで関われる日本からの専門家は十分にそろわず途中で尻すぼみになった部門もあるらしい。帰国後、そのことについて多田先生に詳しく訪ねたところ、グアテマラでのプロジェクトにおいては、日本側からの人員不足のみではなく、現地での機材の不足、グアテマラ側スタッフの機材に対するメンテナンスの能力が欠けることもあり、今年の9月でプロジェクトは終了ということになっているが、満足のいく状態にはなっておらず、グアテマラ側からの要請もあり、さらに2年間のフォローアップをしていくことに決まったということである。

 ある国に対する技術援助協力の最大の効果は、その国が今後は自分たちの力でさらによい国にしていこうと政府・国民に自立心を持たせることだと言われるが、我々がグアテマラについて思ったことは、カウンターパート側の研修員の帰国後彼らにグアテマラでのポストがそろってないとか、結局はフォローアップを要請してくるなど日本のいままでの援助に対してグアテマラ側が真剣に受けとめてないと思えることであった。深刻な経済不安・政情不安のなかで援助してくれる国に頼りきりになってしまうのかもしれないが、いつかは自立をしなければいけないはずである。


7 感想

 今回我々はある途上国の実際とそこに対する国際的協力が存在していることをこの目で知り貴重な体験をすることができたが、日本という国が便利で安全で金持ちであるといういかに特殊な存在であることかを改めて認識させられた。

 今もなお世界の大半の国々は発展途上国であり、グアテマラより深刻な状態である国はまだたくさんある。これからも日本からの援助や技術協力が大いになされる必要があるだろうし、かつ、それらの協力に多くの人々が関心を持ち多くのアイデアがでてくることによってさらに効果あるものになれば良いと思う。

 自分もこれからも常に世界を意識し続ける人間になりたいと思った。

塚本 伸章

 グアテマラまで飛行機を乗り継いで2日間、それでもう(?)ついてしまうような場所がそれまで暮らしていた日本と全く違う文化、言語を持っていることが当たり前のことと分かっていながら驚きであった。こういった途上国を訪れるというのは初めての経験であり、そういった違う文化や人々にふれることができたのは大変貴重なことだった。またそのことで、日本という国を多少なりとも客観的に見ることができるようになったと思う。帰国後、新聞にたまにでてくる、それまでは見向きもしなかった中米やグアテマラのニュースに目が行くようになったが、その瞬間、自分も少しは国際人に近づけたかなと思えてうれしい。

加留部 謙之輔