石垣島研修班


研修目的

 九州大学医学部総合診療部の行うB型肝炎の疫学調査に同行し、調査の方法や意義を理解するとともに地域における医療の現場を直接体験する。また、その調査結果よりB型肝炎の過去と現在の感染状況の変化を把握し、その原因と意義を考察する。

研修地

 沖縄県石垣島

研修期間

 1997年8月6日〜14日

班員構成

 熱帯医学研究会 部員5名

石垣島概要

 石垣島は沖縄本島より南西約300kmに位置し、面積227.02k・の八重山諸島の主島である。八重山郡島の人口の80%が集中し、八重山の経済、行政、観光の中心である。

 各島々への交通もすべてここからでている。島の南西部北寄りに県内最高峰、於茂登岳(526m)がそびえている。島内南部の平野部では、サトウキビ、パイナップル栽培などが行われており、水産業・水産加工業も盛んである。島の回りは美しい珊瑚礁に囲まれ、ダイビングスポットとしても有名である。島全体が石垣市に属する。

 かつての石垣島はマラリアで有名であったが、戦後しばらくしてからは全島が無マラリア地区になっている。

 石垣市の人口は、平成9年8末の統計で43,353人(男21,814人、女21,,539人)であり、世帯数は15,654戸である。平成8年度の統計で八重山保健所管内における医療施設数は病院1カ所、一般診療所23カ所、歯科診療所19カ所である。

 
九州大学医学部総合診療部によるB型肝炎の疫学調査

[目的]

 B型肝炎ウイルスが慢性肝炎や肝細胞ガンを引き起こすため、HBVの感染予防は、多くの国々にとって非常に重要な問題となっている。日本におけるHBV感染は、様々な感染予防策によって、かなり減少してきている。なかでも沖縄県は、HBsAgのキャリアーの割合が全国平均に比して高いため、その地域における保育園児のHBV感染の減少を調査することにより、HBV感染予防戦略の有用性を探ることが可能となる。そこで我々は、九州大学医学部総合診療部の沖縄県石垣島における保育園児を対象としたB型肝炎の検診に同行することにより、調査研究の手法を学び、今後の我々の活動の指針を得ることを目的とする。

HBsAg=hepatitis B surface antigenの略でB型肝炎ウイルス(HBV)の現在の感染を意味する。

[日程]
8月6日(水)福岡発→石垣島着
8月7日(木)オリブ保育園 コスモ保育園 まきら保育園 みちとく保育園
8月8日(金)やしの実保育園 きやま保育園 緑ヶ丘保育園 ひなわし保育園 太陽の子保育園
8月9日(土)休診
8月10日(日)休診
8月11日(月)竹の子クラブ はとぽっぽ保育園 ひまわり保育園 みやら保育園
8月12日(火)さくら保育園 エンゼル保育園 みよし保育園 杉の子保育園
8月13日(水)こどもの家保育園 のびのび保育園
8月14日(木)予備日 石垣島発→福岡着


[調査方法]

 静脈穿刺により血清を得た後、reversed passive haemagglutinationによりHBsAgを測定する。

[結果及び考察]

 総合診療部の先生方の研究によると、沖縄県のHBsAgの陽性率は1968年の12.3%から1970年の11.6%へとわずかに減少しているが、1979ー1981年には7.5%と大きく減少している。この時期には、この地域における医療設備の発達と改善、さらに使い捨て注射器やシリンジ等医療施設における衛生観念の向上により、水平感染が減少してきたためだと思われる。1968年の12.3%から1970年の11.6%へとわずかに減少しているが、1979ー1981年には7.5%と大きく減少している。この時期には、この地域における医療設備の発達と改善、さらに使い捨て注射器やシリンジ等医療施設における衛生観念の向上により、水平感染が減少してきたためだと思われる。

表1 石垣島の保育園児のHBsAg陽性率

YearNo. children tested%HBsAg positive
198012511.1
198111961.3
198213151.1
19836661.5
198414041.4
198515920.8
198614780.7
198715350.3
198816460.06
198915290.1


 また、表1より保育園児のHBsAgの陽性率は、1980〜1984年には1.1〜1.5%であるが、その後は着実に減り続け、1989年には陽性率はわずかに0.1%、陽性者数は2名となり、そして今回を含むここ数年はついに陽性者数は0となった。これは、この地域において1983年からHBe抗原陽性者の新生児に受動免疫と能動免疫を行うようになり、水平感染のうち産道感染を予防することが可能になったためである。

 このようにB型肝炎ウイルスの感染予防には、血液に汚染された医療器具の使い捨てなどの衛生状態の改善により水平感染を激減させることが可能であり、新生児にHBs-IgGとワクチンの使用によって垂直感染も激減させることが可能となった。つまり、HBV感染の広がりを押さえ、そのおおもとを断つことによって、HBV感染者をなくすことが可能となる示唆が与えられた。

 今回の疫学調査についての考察はここまでであるが、ここで私たち学生なりの一歩進んだ考察を加えてみたい。

 これまでの考察から、日本におけるHBV感染予防戦略の有用性が確認されたわけであるが、はたしてこの戦略は他の国、とりわけ未だに様々な感染症が蔓延している発展途上国において応用しても、その有用性は変わらないといえるであろうか。衛生状態が悪いだけでなく、医療器具が不足し、ワクチンを買うお金もない人たちが大勢いる発展途上国では、B型肝炎より、ほかの致死的な感染症予防が重要となる。しかし、HBV感染の予防戦略は、B型肝炎ウイルスだけでなく、ほかの血液感染の微生物にも有用であり、衛生状態の改善だけでもかなり感染症予防に有効となるはずである。

(文責:吉原 一文・大神 達寛)

[検診の様子]

 私たちにとっては疫学的な調査結果を知ることだけでなく、検診そのものを直に体験することにも大きな意義があったと思う。そこで、今回の検診活動の中で自分たち自らが観察し、そして気が付いたことなどを色々書いてみることにする。

 検診は9:00〜10:00amの間に始まり、昼ぐらいまであった。採血を行うのは、医師、保健婦さん、看護婦さん。対象は0から6歳位までの保育園児。それぞれの保育園に2〜3人の採血者と、手伝いの私達2〜3人。園児達の手や腕には名簿どおりに番号が書かれており、試験管にも書かれている。注射針は、翼状針と直針の両方使用した。

 ある保育園での様子を記してみる。

 私達は、「おはようございます。よろしくお願いします。」と言いながら教室へ入っていった。机や椅子を採血用に並べる、注射器を組み立てる、脱脂綿にアルコールをかける等の準備を急いでやると、採血が始まるので、分担を決めた。(1)使い終わった注射器から針を外して安全に捨てる係。安全に捨てるために、直針は、気を付けながらキャップをして、又、翼状針は根元のゴム部分に刺して捨てる。こぼれないように、蓋のあるカンに捨てる。(2)血の入った注射器を(1)の係の所まで運ぶ係。(3)園児を押さえ付ける係。泣く子供は腕が動くので、押さえなければならない。腕を引っ込めようとする子供は、必死なので、押さえ付けるのにけっこう力がいり、汗だくになった。園児達は、誰か1人が泣き出すと、それが次々に伝わって、大勢が泣き出した。トイレに隠れる子や、椅子の下にもぐっていた子がいた。採血が終わってしまった子は、ケロッとしていた。

 採血が全部終わると、掃除などの後片付けを急いで済ませて、仕事は終わった。次に、気づいた事を記してみる。

 子供の血管は細い。駆血帯で締めても、どこにあるのか分からないので、先生方は、注射針を刺してから探る。探ると、痛いから泣き出す。針でぐりぐり探る様子は見た感じも恐ろしい。探り方の中に良さそうなのがあった。良さそうなというのは、比較的短時間で探れて、痛みも少なそうなのだ。1回刺して、血管に当たらない時は、少しぬいてから角度をかえてもう1回刺すのだ、これで駄目な時は、同じように更に角度をかえて刺す。この様に扇形に3カ所も探れば、ほとんど当たる。短時間ですむので、子供の我慢が及ぶ範囲である。針が血管に刺さっても、血が出てこないことが多い。針の先の穴が血管壁にくっついてしまっていると、塞がれて出ないので、少し引いてみる。それでも出ない時は、針を刺している所よりも心臓に近い所を手でもんでやるとよい。又、駆血帯をすぐはずすのも良い。シリンダーを引っ張る速度も大切だ。速く引っ張り過ぎると、血ヌがつぶれてしまって血が出てこない。感想は、子供が可愛かったということだ。

(文責:山田 瑞穂)

石垣島研修の思い出

 研修期間中の空いた時間を使って、石垣島を含む八重山の島々の色々な場所を訪れてみた。亜熱帯という私たちの生活する土地とは違った気候は、行く先々で多くの感動と思い出を私たちに与えてくれた。こうした感動や思い出を積み重ねてゆくことは、私たち未熟な若者にとって、漠然とではあるがとても大切なことのように思われる。それで、研修目的とは直接関係ないが、「思い出」として印象に残ったことをそれぞれ自由に書いて、形として残してみたい。

[8月8日〜9日 西表島]

 石垣島からフェリーで約40分いくと、西表島についた。沖縄の離島といえば、「海」という感じがするが、この島は「海」よりもその陸地の大部分を覆う、ジャングルの方がインパクトが強かった。イリオモテヤマネコが生息するジャングルである。道中野生のイリオモテヤマネコとの遭遇を期待したが、残念ながらそれはかなわなかった。港の駐車場でネコを見たが、ただのネコだった。

 西表島での大きな思い出は2つある。由布島に水牛車で渡ったことと、浦内川を川のぼりしたことである。

 由布島は西表島から300mほど浅瀬でへだてられていて、その間を水牛車が行き来していた。僕達が乗った牛車を引いていた水牛は、他のものより1まわり小さく、なんだかかわいそうな気がした。手綱を結びつけられた鼻がひんまがってしまっていて痛々しかった。速度は非常にゆっくりで、歩いた方がよっぽど速いといわれればそこまでだが、サこがまたのんびりとのどかで良かった。途中で一回立ち止まり、ふんをした。前の座席に座っていたのでその光景を至近距離から真のあたりにすることになった。水牛はおとなしい動物らしく、なでたりさわったりしても、あまり反応がなかった。

 浦内川はマングローブ林にかっこまれていて、ジャングルのまっただ中であった。はじめは船で川をのぼり、その途中で、船頭さんがアダンの実や板状根、特有の植物などを紹介してくれた。40分ほど船でのぼったあと、さらに上流の滝を目指し、徒歩で山道をのぼっていった。ところどころに説明ふだがあり、植物たちの日光をめぐる争いや寄生などのことが書かれていた。上流にはカンビレーの滝とマリユドゥの滝があった。多くの観光客がそこでくつを脱いで足を水につけたり、お弁当を食べたりしていた。僕達もズボンをまくりあげて足を水に浸すと、とても涼しげで気持ちよかった。あまりの気持ちよさに、全身水につかってしまった。(本当は足をふみはずした。) たった1泊2日であったが、西表島はとても楽しかった。

(文責;外間 政朗)

[8月9日〜10日 竹富島]

 土日の休みを利用し、私達は石垣以外の離島もめぐった。そのなかの一つ竹富島は、一ロ強い魅力を持った島だった。島に着いて、まず目についたのは、街並みである。ンブフルの展望台からは、島の家々が見渡せる。石化したさんごでできた石垣、どっしりとした平屋造りに朱色の屋根、その上で目を光らせるシーサー。愛敬のあるもの、恐ろしげなものなどさまざまで、シーサー好きにはたまらない。古きよき街並みー初めて見るのに懐かしさを感じさせる素朴さがそこにあった。ところでンブフルとは、一名牛岡(うしむる)ともいわれる小さな丘のことである。昔、住民が飼っていた牛が夜中に飛び出し、角で土や石を突き上げて、一夜のうちに高い丘をつくり、その上でンブフル、ンブフルと鳴いていたという。当時の酋長はこれを見て大喜び、その丘を牛の鳴き声にちなんでンブフルと名付けたという。平和な島らしいほのぼのとした伝説である。

 民宿もそんな家の一つだった。そこでは、民宿の方や、泊まりあわせた方々と大変親しくしていただいた。彼らは、毎年、竹富の海にもぐりにくるのだという。海の話をする彼らは、とてもいい顔をしていた。泡盛がふるまわれ、話に花がさいた、アットホームな楽しい時間だった。夜もふけ、温かなオレンジ色の街灯に誘われるように外に出た。満天の星空、木陰の蛍、漆黒の海。夜の竹富も、また違った趣があった。

 次の日、民宿の方の好意により私達も、シュノーケリングをする機会に恵まれた。どこまでも透んだ遠浅の海。その下には七色のさんごの森、原色の熱帯魚、貝、たくさんの生命が息づいていた。美しいだけではない。さんごの切れ目の、10mはあろうかという深みをのぞけば、大自然に対する畏怖をも感じた。初めて見る別世界に、ただ見とれ、夢中になって泳いだ。体力を使いはたし、船に上がれなかったほどだ。あの海は今も忘れられない。海から上がり、いよいよ帰るという時、宿にいた人全員が庭に出てきた。そしてたった一泊の私達を、みんなで見送ってくれた。感動的な瞬間だった。古い文化と美しい海を持つこの島を、守り続ける人々、愛して毎年訪れる人々ならではの温かさだろうか。

 この島の人口は、毎年、数人づつながらも増えているのだという。この島を愛する人々が移り住むのだろうか、うなずける話である。ぜひもう一度行きたいと思える、美しく懐かしい、温かな島だった。

(文責;樋口 香苗)

[8月13日 石垣島]

 9日間の研修中、石垣島で色々なことを経験したが、その中でも初めて体験したダイビングは一番の思い出になった。その時のことを書いてみたいと思う。

 小さな船に揺られて約30分、御神崎のそばの浅瀬に一時停泊した。そこでシュノーケル・酸素ボンベの使い方や耳抜きの方法などを教わった後、いよいよ水深8mの海中にダイビングすることになった。船の後部にくくり付けられたロープをつたいながら潜っていく。少しずつ、少しずつ、1mくらい潜る度に耳抜きをするように指示される。正直、自分はそういったインストラクターの指示に従うのに必死で、周りを見渡す余裕がない。それで、今自分がどの辺りまで潜っているのか全く分からない。ただ、次第に体が重くなってゆくのは分かる。いや、重くなるというよりも硬直していくようである。また、胸が締め付けられるようで息苦しい。そんなことを思っているうちに、いつのまにか海底にたどり着いてしまった。そして、しばらくここで待つように指示された。

 初めて周りに目をやった。ごつごつした岩が点在している。そして、その間には大量の珊瑚の死骸が積もり、海綿を思わせるような不規則な海底を形作っている。一面灰色の世界である。映画に出てくる、どこかの惑星の表面を連想する。殺風景であるが、神秘的なものを感じる。そんな光景をしばらくぼうっと眺めているうちに、他のみんなが降りてきた。

 みんなが揃った後で、魚をおびき寄せるための餌付けを始めた。単にソーセージをちぎってその辺りに撒き散らすだけであるが、どこから来たのか、それまでほとんど見あたらなっかた魚がウヨウヨ寄ってきた。赤や青や黄や緑、形も違えば彩りも違う。しかも大きい。シュノーケリングではせいぜい数cmの熱帯魚がほとんどだったが、この海底では20数cm程ある熱帯魚ばかりである。そんな熱帯魚が20〜30匹も群がっている光景はまさに絶景であった。そういえば、その餌付けの光景を写真撮影したのだが、これが面白かった。目が豪快に釣り上がってたり(約45°)、口が歪んでたりと、とにかくみんなブサイクな顔をしていた。たとえ綺麗な顔でも、あれだけの水圧でおもいきり押しつぶされたうえ、シュノーケルやゴーグルで押したり引いたりすれば、あんな顔になってしまうのは仕方がないと思う。もう二度と水中写真を撮るのは止めようと、今ではみんな言っている。

 熱帯魚の他にも色々なものを見せてもらった。その中に、星の砂があった。もちろん、まだ生きている星の砂である(昆虫の一種らしい)。珊瑚の死骸にくっついているのだが、その姿はなんと!………生きてても死んでても同じだった。ふーん、と思った。また、水面上の太陽を見上げてみるよう言われたこともあった。これは綺麗だった。太陽の光が水面の波にちぎられ、帯となって四方八方に散らばっている。そして、その光の帯は幾重にも重なり合い、まだらに薄暗い海底を照らし上げている。思わず見とれてしまう程の光景であった。それから、イソギンチャク(?)を見つけたときのことだった。インストラクターがそのイソギンチャクを頭に乗せて何かを言い出した。何だろうと奇妙に思ってみていると、一言、「レゲエのおやじ」。………寒かった。なんとか場の雰囲気を繕おうと思ったが、どう反応して良いか分からなかった。やっぱり、寒かった。

 このダイビングは何もかもが初めての経験で、たくさん感動させられた。またいつか、もう一度この海の底の世界を見てみたいと思う。

(文責;大神 達寛)